例えば性格が飽きっぽいということ

例えばの話ですが、
『ブログを始めよう。とりあえず何でも良いから毎日何かしら文章を書いて更新しよう』
と思ったとします。例えばの話です。

最初は大変だと思います。まず毎日何かしらブログに書くネタが必要です。何でも良いわけだから、食事のメニューとか見た夢とか歩数とか体重とか、とりあえず思いついたことを書けば良いわけですが、しかし毎日となるとなかなか保ちません。本の感想、仕事の愚痴、趣味の話、などなど、思いついたネタをどんどん投下していくことになります。常にブログに何書くか考えながら過ごすし、ネタ収集のために他人のブログやTwitterを読み漁ってみたりもするでしょう。
一応、不特定多数に向けて発信することになるので、最低限文章としての体裁を保つことにも気を使います。
なので、ブログを書き始めた頃は、結構時間的なリソースを割かれることになるのではないでしょうか。
例えばの話ですよ。

そんなこんなで苦労しながらでもなんとか毎日更新したとして、しかしやはり人間というのは慣れる生き物ですから、例えば半年くらい続けたら(半年って大したことないやん、という意見は置いといて)、もうそこまで時間を割かなくても毎日何かしら書けるくらいにはなるものです。何を書くかのネタは書く直前に考えたらいいや、と思うようになります。他人のブログやTwitterを読み漁る頻度は激減します。体裁を整えるのもそんなに気を使わなくなります。
それくらいになった時に人はどのように思うか。

  1. 『やったぜ。有益なスキルを身につけてやったぜ。またひとつ成長したぜ』(ポジティブ)
    1. 『これからもブログを書き続け、もっと高みに行こう』
    2. 『ひとまずブログはひと段落だ。また別なことに手を出していこう』
  2. 『マンネリだー。面白味が無くなったー。ブログやめて別のことしよーかなー』(ネガティブ)

ブログを例に書いてますがブログに限ったことではなく、趣味でも家事でも仕事でも同じことが言える気がしています。
どう思うかは内容によるし人によるしその時のメンタルにもよります。
人によって傾向というか平均というか中央値みたいなものはあって、ワタシの場合はとても飽きっぽい性格なので2のネガティブになる場合が多いと思います。
周りをよく観察しますと、憧れの眼差しを向けたくなるような人はやはり1-1か1-2な人が多い気がします。特に1-2な人は、『物事を前向きに終わらせることができる』力を持っていて、とても頼りになる方々だという認識です。

自分が憧れるような人になりたくても、なかなか思うようにはなれない日々です。飽きっぽい性格はやはり変えることが難しいと感じています。
マンネリで飽きても辞めずに続けたらその先に何か新しいものが見える、と思うことが大事なのでしょうか。

例えばの話でした。