日常にアウトプットのある生活を意識しなくちゃね、というお話

ブログの運営を始めたら、何をやる時でもブログのネタを探してしまいます。ワタシはブログのネタを得るために生きているのか?と錯覚するほどです。
他にも例えば、新しいカメラを買ったら、常に、しかし無意識に被写体を探すようになります。なんでもない道端の小石を撮って悦に浸ったりですね。きっとTwitterInstagramなんかもおんなじだろうなあと想像します。
また、モノづくりに関わるお仕事をしているのですが、完全オフの日であっても「お、役立てそう」「仕事に生かせそう」とかの気付きは、いやでも得てしまいます。やはり無意識に意識しているということです。
要は、趣味でも仕事でも、ちょっとでもクリエイティブな要素があると、全然別のことをしていても頭から完全に離れることはない、ということでしょうか。同じことをしても見える世界が変わる感覚がありますよね。ワタシはあんまり想像できないけど、歌を歌ったり楽器を演奏したりする人も同じなのかなあ。

一方で、例えば読書。
もちろん、読んでいて楽しいし、読んでいる間は他の嫌なことは忘れてしまえます。没頭できることがあるのは幸せなことです。早く続きが読みたくなるし、妄想の中に物語世界を構築して自分を登場させる、といったたいへんイタいこともしちゃいます。周りに迷惑かけない範囲でね。
ただ、そこまであっても、見える世界が変わる、といったことはほとんどないのです。映画を見たり音楽を聞いたりするのも同じことが言えます。

この差って何かというと、やっぱり、曲がりなりにも何かを生み出しているか否かかなと思います。なにかしらのアウトプットがある行為の方が、良くも悪くも切羽詰まるので、身も心も能動的になりがちです。その分感覚が研ぎ澄まされるのですよね。その分、時と場合によってはストレスになってしまうこともありますが。
読書のような趣味は、自分にインプットする行為ですが、何も吐き出すものはありませんから、ストレスなんて皆無なわけです。

どっちが良いとか悪いとかではないですし、合う合わないは個人差大きいと思います。

さて。
ワタクシ、いわゆるコミュ障ですので、ほっといたら他人と関わらない方へ、自分からは何も発信しない方へ流れてゆく特性を持っています。そんなワタシですが、何を思ったかブログをはじめて、久しぶりに趣味にアウトプットがある生活になりました。そうなった上で改めて思うことは、「今までin/outのバランス悪かったのかな」ということです。ちょっとうまく言えない感覚ですが、ブログ公開しはじめてから、生活トータルではストレス感じ難くなったような気がするのです。
繰り返しますが、個人差大きいと思います。周囲の環境にも左右されると思います。本さえ読んでいれば幸せ、という人もいれば、常に何かしら文章を生み出していたい、という人もいるんだろうなあ、と。
ただ改めて思うのは、in/outのバランスって大事。超大事。
そしてアウトプットを求める人にとっては、大変恵まれた時代なんだろうなあ、と。ブログなんて、その気になれば実質初期投資ゼロで始められますからね。

本日このような文章を作成し公開していることも、ワタシにとっての大事なバランス取りなワケです。

本日は、遠回しに読んだ人にブログ開設を勧める回でした。

スマホゲームについて

印象に残っているスマホゲームについて書いてみようと思いました。
もうゲームには興味も未練もありません、みたいなお話を昨日書きました。興味も未練もないですが、環境が整えばいくらでもやりたいよね、というのがホンネです。未練、あるじゃん。
環境という意味では、スマートフォンってゲームするにはうってつけのデバイスだと思っています。常に携帯しているなんて、こんな大きなアドバンテージは他にはあるまい。

定義

スマホゲームを以下のように定義しよう。

  • スマホ用アプリとしてリリースされている
  • 基本無料である(ゲーム内通貨を有料で購入する)
  • ガチャ(キャラや武器などをランダム排出するシステムにより入手できる)

定義付けには大きな意味はありません。ワタシがこういうのが好きなだけ。

特徴

スマホゲームは以下のような特徴を持っていると思う。

  • ゲーム開始直後にガチャいっぱい引ける
  • 序盤のストーリーをクリアすることによりゲーム内通貨を大量に入手できる
  • 中盤に入ったあたりでゲーム内通貨の入手速度が鈍る
  • 中盤から終盤にかけて、レベルアップのための周回が必要なタイミングがある
  • ガチャにたよらずともストーリークリアは可能
  • ただし、ガチャに頼らないストーリークリアに必要なレベルアップ周回は、ガチャに頼るより格段に多い
  • ストーリーの追加ペースよりガチャの追加ペースの方がはやい
  • ストーリーが原則終わらない

あくまでもワタシがやってきたゲームについてです。もっとあるかもですが、まあ十分。
言葉にするとなんとわかりやすい要課金タイミングでしょうか。

楽しかったスマホゲーたち

一時期、無駄にいっぱいプレイしたことがありました。その中で好きなものごく一部です。なんやかんや基本無料というのはたいへんありがたいです。クリエイターの方々はさぞ大変なことでしょう。(他人事)

ロード・トゥ・ドラゴン

良かったですね。通称ロードラ。今のところ1番好きです。スマホゲーらしいスマホゲーだと思います。操作といえばポチポチタップするだけ。特に考える要素もありません。
キャラに特徴があって世界観とストーリーが優れていれば、ゲームシステムなんてポチポチで充分、ということを証明してくれました。
キャラ毎にあるテキストは読み込んだし、ファンブックも購入しましたが、残念ながら既にサービス終了しています。

パズル&ドラゴンズ

良かったですね。ワタシはもうプレイしていませんが、延べプレイ時間で言えばスマホゲー最長かもしれません。パズルプレイとスマホ入力の相性が抜群でした。キャラに特徴があって操作感が優れていれば、ストーリーなど蛇足ということですね。
他の追随を許さないレベルで流行った時期もありましたが、今はそこまでではないのかな。それでもまだまだサービス継続中。

テラバトル

パズルとノベルがくっついたようなゲームです。FFの坂口博信さん監修というコトで、その前評判に負けない操作感と重厚なストーリーでした。たいへん楽しめました。ガチャキャラの追加ペースやイベントの開催期間などが、他と比べてゆっくりで、そこもワタシのプレイスタイルと相性が良かったと思います。
続編がいくつか出ましたがそれらは不発でしたね。本編も規模縮小しつつも長らくサービス継続していましたが、最近終了しました。

ラストクラウディア

ワタシの中の人気はロードラに迫っています。 2020年10月現在、ストーリーとキャラクターに引っ張られて、唯一プレイ継続しているゲームです。ストーリーがなかなか進まないのが玉に瑕ですが、それも込みで楽しませてもらってます。

スマホゲーに思うこと

手のひらサイズのデバイスで隙間時間で遊ぶワケですから、そのようなデザインがなされています。どのようなデザインかというと、

  • 1プレイの時間を短時間に
  • キャラクターの存在感を大きく
  • 随所に短いテキストを散りばめている

全てのゲームに当てはまるわけではないですが、生き残っているゲームは上記当てはまるものが多いように感じます。
個人的な希望としては、大きなストーリーなんてなくてよいから、操作も単純なポチポチだけで良いから、キャラ造形とキャラストーリーと世界観構築にリソース全振りしたようなスマホゲーがありばとてもやってみたいです。

ゲームの進化について考えたこと

小学校でファミコン、中学校でスーパーファミコン、高校のときはPS、大学生はPS2…と、ゲームといえば家庭用据え置きゲーム機である、という世代です。
しかしながら、近年のswitchやPS5などのゲーム機には到底ついていけず、最近はゲームといえば基本無料のスマホゲーのさわりをプレイするだけとなりました。限られた時間を何に充てるか、という点では、今のところゲームはさほど優先度が高くないので、この方面にはあまり未練もなくなりました。
ただ、やはり技術の進化には結構興味があって、注視していきたいと考えているところです。

家庭用ゲーム機にたいしてプレイヤーが行うことは「見る」「聞く」「読む」「操作する」だとします。「見る」「聞く」が能動的なものであるとすれば、「読む」「操作する」は主体的なものになります。
ゲームは、それまでの様々なエンタメコンテンツに対して、「操作する」要素を追加したことにより、プレイヤーのゲーム世界への没入感を格段に高めたのだと思われます。没入感、ゲームを語る上で大事な要素ですよね。
家庭用ゲーム機というのは、ファミコンの登場を機にエンタメの覇権をとったように感じます。そして、その後も進化を続けています。ただそれは、グラフィクスの進化がメインでした。

ときは流れて21世紀初頭、ゲームに起こった新たな革命、それは「VirtualReality」技術の導入です。驚異的なマシンスペックにより実現される高速レンダリングにより、VRゴーグルの中の世界は現実さながらのものとなりつつあります。まさに仮想世界に身を投じることができる環境を作り出したワケですね。
しかし、派手で絵になる技術革新であるにも関わらず、ファミコンが起こしたような社会の変化はまだ感じません。なぜか。
やはり我々がゲームに求めているもの、それは主体的な関わりをトリガとする「没入感」だと思うのです。
没入感は、目や耳から入力されたものに対して脳内で自分のイメージに変換することでも当然得られます。でもそれは物語や音楽でも良いものです。それよりもやはりゲームに求められるのは、直感で身体を動かすことがゲーム世界にダイレクトに影響するような環境なのです。
身体性を伴う方が、プレイヤーに残る印象が大きく継続的ですからね。

そういう意味では、ゲーム内のキャラクターを操作するためのコントローラーは、ファミコンの時からほとんど変わっていません。すごいですね。ファミコンの時すでに完成されていたということになりますもんね。
そしてコントローラーは、先述の主体的な没入感を得るためのデバイスとして、未だゲーム機に付属しているワケです。VRゴーグルは、ゲームコントローラーの代わりにはなりませんでした。ゴーグルというだけあって、「見る」のブラッシュアップの域を抜けていなかったのでしょうか。

家庭用ゲーム機について、思ったコトを書きました。なんのデータもなく語っているので戯言です。
家庭用ゲーム機の登場は世の中を変化させた、と言っていい出来事だと思います。ではこの先ゲーム機が進化して、新たな世の中の変化をもたらすのはいつ、どんな内容によってでしょうか。VR?AR?AI?
個人的には実は、スペースの制約が厳しく現状では頭打ちだと思うのですが、どうなっていくのでしょうかね。

伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』感想

2020/10/13 読了。
伊坂幸太郎さんの小説については本書に限らず、セリフの言い回しが独特、地の文が洒落てる、タイトルが意味深、と、そりゃあ人気も出ますよね。本書は伊坂幸太郎さんの第何作目なんでしょうか。常に新刊が出ていてとてもおいつけません。
「平和警察」という、魔女狩りを現代に蘇らせたとしか思えない制度が存在する世界が舞台です。「平和警察」があるが故、犯罪が少ない「平和」な世界。しかしそんな「平和警察」に抵抗する者が現れて…。
前半は、「正義の味方」が「悪の組織」をこらしめようとするる話、しかし後半はそこからさらに発展して、「正義の味方のジレンマ」ともいうべき問題が描かれているように感じました。
伊坂幸太郎さんらしいどんでん返しもあり、大変面白語ったです。

伊坂幸太郎さんの物語って、本当にもうどうしょうもないくらい救えない悪人が登場します。やることも考えることも鬼畜。そんな悪人がやられるサマを見るのは、お決まりとはいえ爽快な気分になれます。
一方で、伊坂幸太郎さんの本を最後まで読み切れるかどうか、というのは、作中に登場するこのような悪人の方がたを、ワタシ自身がどのように消化するか、によります。
登場する悪人の行いにリアリティを感じてしまい、読み進めることができなくなってしまったことが一回ありました。
他の作家さんではあまりないので、作者と読者の相性の問題でしょうか。
という意味でも個人的には読み始めるまでのハードルが高い作家さんです。読み始めたら転がり落ちるように読了しますが。
すでに次の伊坂幸太郎作品もワタシのキンドル内で準備万端です。

雑記 ブログ編

本ブログのような構成を「雑記ブログ」というそうです。割と最近知りました。このブログも、本当はプログラミング特化ブログになる予定だったんだけどなあ、と思って見返すと、2回目の投稿がすでにフィクションになってます 。一体何を考えていたのでしょう。
『文法』とか『てにをは』とかをものすごくテキトーに書いて、訳の分からない文いっぱいの後に、「これが真の雑(に)記(した)ブログです!」で締めるというのをやろうかと思ったのですが辞めました。もう誰かやってそうだし、なんか一線を超えてしまうことになる気もしたので。よかった、まだ冷静な判断ができる心が残っていて。

本日はブログについて思っているコトをテキトーに書きます。

意外と続いてる

記事の質とか考えなければ三日坊主にならずに続けることができるということです。記事の質とか考えなければね。一念発起とかしたくないので、今後もマイペースダラダラでいきます。

仕事のはなしを書くとテンション下がる

サラリーマンとしてそれなりの年月を過ごしてきましたから、語れることはあります。書くときは、特定されない程度に一般化してるつもりです。
しかしまあ、なんでしょう。書いてるときはこう見えて興奮していて、筆が走る錯覚も得られますが、後日読み返したときに恥ずかしさのような感情が湧いてしまう。趣味の話で例えばプログラミングだったら、どんなにヘタクソなコードをアップロードしても何も思わないんだけど。なんでだろうな。仕事に自信を持ってないからか?

華がない

基本文章ばっかりです。ブログってそういうものだと思ってるから、文章メインはいいんだけれど、とはいえ写真の一枚も貼れないものか。POV-Rayで作ったCGとかも貼ればええんとちゃうの? と思ってきたので、そういうのも貼っていこうと思います。
最近、はてなフォトライフというサービスがあるのを知りました。インスタグラムがイマイチやる気になれないので、はてなフォトライフためしてみようかなと思っています。みなさまのようなカラフルなブログにしたい!

感想とかレビューをもっと書きたい

意外な発見ですが、読書レビューとか、音楽レビューとか、先日のコーヒーマシンもそうですが、何かを人に紹介しようと思って書く文章は、書いてて楽しい。考えてみれば、自分が好きなことについて書くことになるから当然ですが。そりゃあ皆さんアフィリエイターになりたいワケです。ワタシもレビュー記事増やしたいなと思っています。問題は、レビューするために読んだり聴いたり使ったりするモノと時間がないということです。
楽しいことがいっぱいあって時間が足りないとか、贅沢な悩みです。(お仕事でいっぱい時間取られるのは「ワタシは社畜」と言い聞かせて気にしないことにしています)

雑記 PC編

最近思ってることなどを徒然なるままに。PC編。

POV-Rayが面白い

POV-Rayとは何かというと、レイトレーシングエンジンです。レイトレースとは何かというと、その名の通り「視線(レイ)追跡(トレース)」のことです。仮想空間に定義した物体をディスプレイに投影するために、実際の視線(レイ)を追跡(トレース)するレンダリングの手法です。
ワタシが学生の頃からあって今も使えるから、根強い人気なのかな。ただ、検索してでてくるページって、一昔前に作られた物が多い。今ドキはこういうの流行らないのかな。CGやっても金にならない、って昔は言われてたけど、今も同じなのかしら。よくなってたら良いな。
POV-Rayは結構楽しんでいるので、このブログにも残していきたいなと思っています。

Blender使っていない

Blenderとは何かというと、3DCGのモデリングソフトです。POV-Rayと同じタイミングでインストールしましたが、その後一回も立ち上げていません。検索した感じだと、POV-Rayよりはまだメジャーなのかな。
3Dのモデリングって、やればやるほど終わりが見えなくなって、いくらでも時間が吸い込まれていきます。昔は時間あったんだなあ、と思います。こんなこと言うと年寄りみたいでイヤすが。 まだ諦めていないので、そのうちやりたい。

プログラミングは面白い

pythonでもやってみるか、と思ってジワリジワリですが勉強してきました。あと、すごくたまにですが、Cでも遊んでいます。ネットのサンプルコードを弄ってる程度ですが。正直、Cの方がちょっと好きかも、と思います。特にかっこいいコトをやっているワケではなくて、単純に昔を懐かしんでいるだけです。思い出補正というやつかな。
pythonについてはチマチマですが勉強しているし、(勘違いかもしれませんが)なんとなくどんな言語かわかってきた気もするので、せっかくだから機械学習方面に進みたいなと思いました。
pythonといえばこれだよね」みたいなコトもやっておきたいなあ、と。

iPhoneアプリが欲しい

3DCGツールってスマホアプリではあんまりないですよね。3DCGのモデリングしたい、とかレンダリングしたい、とかなるとスマホではほぼ出来ないのかな。まあ確かに、入力の相性悪そう。ただ、効率悪くても面白かったら一定流行るんでは、と思うが…全体のパイが少ないんでしょうかね。
プログラミングのツールはいくつかありそうだから試してみようかなと思っています。なんでも良いからスマホで何か新しいことやりたいなという思いです。

ラズパイもできていない

これはもう、検索したらいくらでもでてきます。みなさん凄い!しびれる!!憧れる!!!
脳内プロジェクトはいくらでも立ち上がりますよね。頭の中にあることを、どのタイミングで何を指標に実行に移すか、というのはその人の特性をよく表すと思います。脳内プロジェクトで満足しているようではダメだ!
カタチを残してこそ価値が生まれるのです。諦めないぞ。

「死」について

かなり昔の話で記憶も曖昧で間違ってたらまずいので、敢えてボカして書きます。
著名な数学者の方がテレビ番組の密着インタビューに答えていて、その中で「死」についての問答がありました。その数学者の方は、当時すでに現役を退いてから随分経っていたと思います。見た目はホントに品の良いおじいちゃん。曰く、
「私は今、推理小説を読んでいる途中だし、見たい映画もある。もういつ死んでもおかしくない、とか、いっそ死んでしまいたい、と思うことがあっても、あの小説の続き読みたいな、とか、あの映画は見たいな、と思ってまだ死んでいない。私にとって生きたいとか死にたくないとかって、所詮その程度のことなんですよ」
ということでした。
この答え、一言一句までとなるとかなり補正が入っている可能性はあります。ただ、当時ワタシが感じたニュアンスとしては、ホントにこんな感じです。
飄々と答えておられたのもすごく印象に残っています。
もう、何年前かも定かではありません。ワタシはたぶん10代だったのかなと思います。多感な時期です。静かな衝撃を受けたのを覚えています。
ワタシの中の気持ちとしては、「数学という学問を極めんとしたような方でもそんな事思うのか」というのと、「そうだよな、結局死にたくないってそういう事だよな」というものでした。とにかく、その方の言葉がスッと自分の中に入ってきました。

自分というバーソナリティが失われることを想像するともう、感情としては「恐怖」以外の何物でもないということ。これがすなわち「死にたくない」という思いに直結しています。それは、どうやっても克服できない恐怖だと思うのですが、そうは言っても、
「なんで生きているの?」「なんで死にたくないの?」

「だって、もっと本読んだり映画見たりしたいし」

って、ごもっともなんだけど、でも生死の問題に引き合いに出すようなことでもないと思って、思いつきもしなかったんですね。

そもそもワタシ、「オレにはまだまだやらなきゃいけないことがあるんだ!」とか、「世の中はオレを必要としているハズだ!」とか、「○○王に、オレはなる!」とか、そういう思いがあんまりなかったのです。だから、何となく生きている感じ、モラトリアム感みたいなもの? を持っていました。そういうのって、どっちかっていうと良くないことじゃないのかな…もっと熱い思いを抱えて生きていかないといけないのではないかな、と思っていのです。若いですね。
そんなモヤモヤを、スッと退けてくれるチカラが、前述の数学者の方の言葉にはありました。おそらく、その方にはその方なりの思いがあり、専門分野で活躍してきたからこそ言えることだったのかもしれませんが、当時若人だったワタシはそんな深いところまで考えが及ぶはずもなく、ただただテレビから流れてくるその言葉が拠り所になりました。
「どうなっても、今を生きるしかないんだな」という風に消化して、そしてそのまま現在に至っている気がしています。

とりとめもなく、「死」について思うところを書いてしまいました。今に限らず、考えずにはいられないテーマかもしれません。
こういった話って、受け手によって千差万別ですから、各々が各々の拠り所を見つけるしかないのかなと思います。

まとめ

今のワタシの大きな拠り所は、「岸辺露伴は動かない」NHKドラマです。