YouTubeアプリ立ち上げたらタイムスリップした

YouTubeでお料理動画を渡り歩いていたらいつのまにかアニソン聞いてて、あれよあれよという間にゲーム実況見るハメになって、いつの頃からか『ビッグブリッヂの死闘』を無限ループの勢いで聞く羽目になりそうだったのを何とか離脱してきました。
YouTubeくらいになるともう、検索さえ面倒臭いですね。関連動画しかポチポチしないので、ホームには関連動画しか表示されなくて、それらの動画をしばらくは見るのだけど、そのうち見たいものが表示されなくなって、しばらく見なくなる、みたいなのをずっと繰り返している気がします。
ホームに表示される動画の種類をもっとバラエティに富んだラインナップにしたらもっとYouTubeの滞在時間長くなりそう。でも自制が効かないだろうからな…。とか書きながらダンシングヒーロー聴いてる…。やばい…懐い…時間が…。

管理職の仕事とは

しがない中間管理職をやってる者の本日の心の動き。

労務管理以外の「管理職の仕事」って突き詰めると、「管理職(すなわち自分)がいなくても問題なく回るような職場を作る事だよな」と思い、「じゃあいずれ自分はいらない子になって捨てられちゃうのかな。それは嫌だな。だったらあんまり頑張って成果を出さないほうがいいのかな」まで考えたところでふと「そもそもこんな事で悩んでいる時点で、今の管理職としての仕事をうまくこなせていない証拠ではないだろうか」と思い至りました。あと途中で、「ひょっとしてワタシ、『窓際族』とか『閑職』とか向いてるのかしら」というところまで逸れたりもしました。
なかなかいろいろ考えてしまう話題だし、一般化して語りやすいかもと思えるのですが、ワタシの能力不足により上記以上の言語化は不可能でした。
度々考えてしまうことではあるので、わかりやすく言語化することにはまたいつかトライしたいと思いました。

名前、鼻水

人は、身の回りのモノや、怒った現象に「名前」を付ける、ということを今日に至るまで続けてきたわけです。名前をつけることは、そのモノや現象を、自分の手の届く範囲に置いておく、という意味合いがあると思うのです。カテゴライズしてから命名するというより、名前があるからカテゴライズできるのでは無いかと思うのです。
例えば自分の理解が及ばない現象を目の当たりにしたとします。理解が及ばないからひれ伏すのではなく、理解が及ばないからまずは調べますよね。その結果、その現象の名前が分かったとしたら(メカニズム等分からなくて相変わらず理解不能だったとしても)、それだけで安心できたりします。現象に対する畏怖の念は無くなるわけです。
仮に調べても「名前」が出てこない場合は、理屈は分からないし名前もない現象ということで、畏怖や恐怖の対象になることもあるでしょう。そのような畏怖や恐怖を克服したいという強い意志を持つ人たちが、新しい理論を発見し新しい名前を付与し、人々に安心感を与えるのでしょうか。極端な話、例えば犬だって「犬」という名前がなかったら、恐怖の対象かもしれません。

毎年これくらいの時期になると、どうも鼻がムズムズしてよく鼻をかみます。花粉症ではないかと思うこともありますが、周りの花粉症の方を見てるともっともっと辛そうなので多分違うと思います。
あんまりつらくもないので医者にも行かないワケですが、そうなるともう一生この鼻ムズムズの正体が何か分からないのだろうな…。

憧れのvim

思えば学生の時にUNIXMule(emacsの派生なのかな。未だによく分かっていない)を使ったことはあるものの、vim(Linuxに入ってる有名なエディタ?開発環境?これもイマイチよく分っていない…)はほぼ使ったことはありません。それどころか存在を認識したのは数年前にラズパイをゲットした時なのでごく最近です。そのときは、少し使ってみて早々に諦めた記憶があります。

本日、vimをこれでもかとばかりに使いこなしている人を目の当たりにしました。これがまあ、とてもカッコいいのです。クセのあるキーバインドを使いこなしている感じ、Terminalの中で全てが完結している感じ、PCについて深いところまで知ってますよな雰囲気、Linux初心者のワタシには全てが眩しく映ります。
ワタクシ、ここぞとばかりに影響を受けてしまいました。流されやすい質です。
今だったらvimなんかよりVSCodeを使っていく方が何かといろんなことをショートカットできて効率よさそうな世の中ですが、個人的にはこの方面は(仕事でも使っているとはいえ)趣味要素が強いので、「よし、好きにやらせてもらおう」と思い立ちました。
なので早速viを起動し、設定ファイル(vimrcとか)にいくつか書き込み、慣れないキーバインドに苦戦しながら何となくショボいコードを書いてみたりしてました。
その結果、「あ、やっぱり今からvimをガチで覚えようとするのはやめておこう」と思ってvimそっ閉じ、までが今日の出来事でした。

忙しなく過ぎて行きますが、何も身にならない日々を送っております。

先週はいろいろ疲れたので

心が荒んでいる時とか、身体が疲れている時とか、何も考えずにTwitterアプリを立ち上げて流れてくるツイートを眺めているのが心地よい時があります。何も考えずに字面を追っているだけで結構面白いものです。

発信する側としては、何か言いたい時は脈絡なくいきなり言いたいことを「ドン!!」て感じで投下できるのだと思いました。
Twitterの仕様を初めて知った時の感想は「そんなショボい文字数で何を語ると言うのか?」というものでしたが、実際のところは何も語る必要はなくて(むしろロジカルに語り出すとうざがられるくらいで)、結論をいきなり書いちゃえば良いものなのです。起承転までが不要で、いきなり「結」だから、ツイートする方としても、全然面倒臭くないのです。むしろ発信することにメッチャ快感を覚えます。言いたいこと言ってるだけだから当然だと思います。

ツイートを眺める方に戻ると、やはり結論だけ言って「ドン!!」の感じが読んでいても快感ですよね。相手の思考を追いかけることなんてしないけど、それでもなんか相手とシンクロした気分になると言うか。疲れている時なんかはむしろ何も考えずにシンクロして「1人じゃ無いんだ…」みたいな気分になりたいわけですし。

だから良いか悪いかというと、Twitterは読むだけだとしても結構良いツールだと思います。自覚さえあれば、自分が弱っている時はそんなツイートに身を委ねるのも良いだろう、と思いました。

あと、なんやかんやで、食べたものとか行った場所とか作ったものとか描いた絵とかを自慢げに晒しているツイートが一番の好物です。そういうツイートをする人にわたしもなりたい。

いつか言ってみたい

ワタシ「Linuxのdistributionは何を使っているのですか?」
アイテ「あ、私、LinuxCUIでしか使ったことないので」

ワタクシ、これがそもそも会話として成り立っているのかがわからない程度にはリテラシーが低い人間です。ていうかこの場合、ワタシとアイテ、どっちがリテラシーが低いと言えるのでしょうか。

いつか言ってみたい台詞ではありますね。
「私、LinuxCUIでしか使わないので」

ゼロから作るディープラーニング

ディープラーニングで画像分類やってるグループが近くにいます。今まで人間がやってた作業をコンピュータに置き換えようという試みです。ディープラーニングって、いわゆる官能評価に適用するのがまずはとっつきやすいみたいです。 人間の認知システムを模しただけあって、なかなかの精度で分類されます。ただし間違うことも当然あります。間違った時はどうするかというと、モデルを作り直します。モデルを作り直すというのはどういうことかと言うと、間違った画像を使って学習を重ねるのです。ここのところが今までと違っていて、間違った画像が何故間違えたのか検証しない、というかすることができない、というか、できないわけではないけど現実的ではありません。そうなると、y=f(x)のfの部分がもう完全にブラックボックスみたいなものなのですね。
ワタクシこのブラックボックスになかなか慣れることができなくて、どうもイマイチ、ディープラーニングとか機械学習とか、好きになれない自分がいるのです。モデルをいじってるのにモデルの中身が分からないってどういうことよ、と思うわけです。
ディープラーニングをツールとして使う分には、そういうものだと割り切ればいいのですが、それもなんだかシャクですね。ならばせめて、ディープラーニング自体の仕組みくらいはしっかり理解しておこうではないか。ブラックボックスなのはしょうがないとしても、ブラックボックスである理由は押さえておきたいではないか。

というわけで、『ゼロから作るDeep Learning Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装』はかなり良い本でした。「ゼロから作る」というのが良いですね。「理論を勉強して実装してみる」という流れで言うと、理論を勉強する機会は無いこともないのですが、いざ実装するのはなかなかハードル高いものです。ワタシのようにpython初心者とかなるとなおさらです。この本は、その実装の部分もかなり丁寧に解説してくれています。なので実装のところでつまずきにくく、まさに経験しながら理解を深めることができますね。なんでもそうですが、自らの経験に勝る近道はないと思います。
また、内容はディープラーニングですが、流行を追いかけるというより基礎をしっかり学ばせてくれるので、ディープラーニングに関係することでもしないことでも、さまざまな気付きを得ることが出来ました。
とはいえ、ゆっくりだった割には、結構コード書くの端折りながらサボりながら読んでしまったので、実装の部分はもうちょっと頑張ってみようかなと思います。
このシリーズはあと2冊刊行されてるのですね。自然言語処理フレームワークの実装ですって。これまた興味をそそられますね。いつか読みたいですねえ。