ラジオを聴いて「中立」について考える

通勤の車中ではラジオクラウドでsessionという番組を聞くことが多いです。結構前の放送なのですが、以下の特集を最近聞いて面白かったので、思ったこと考えたことの殴り書きです。

あらかじめ断りを入れておきますが、ラジオで話されている内容とは微妙にスジが違うこと書いちゃう気がしますが、あくまでただの一個人の「感想」になります。

情報溢れるこの世の中において、いかに中立な立場を保つか、自分に課している課題ですが、なかなか難しいです。世の中にはいろんなバイアスがあって、根拠が薄弱なニュースがそれっぽく語られているし、ニュースには名もなき方々のコメントで溢れています。マスメディアのいうことだけ聞いているのもなんか違う気がします。大学で教鞭をとっているような、知の最前線を走る方でさえも、陰謀論に毒されることもあるそうです。

例えば、一人でいるのが好きなインドア派引きこもり体質持ちの方でしたら、適度な広さの部屋で、本読んで音楽聴いて映画観て、プログラミングの勉強したり物理とか数学などを学びなおしたり、そうすることで世の中の出来事との距離をとる(もしくは断絶する)ことができるかもしれません。そういう状況が理想的だと思う人も居ると思います。ワタシも自分のことを引きこもり体質だと思っていますので、(そこまで極端にはなれないものの、)世の中と関わりを持たずに自分の好きなことだけやって生きていく、という状況への憧れのようなものは持っています。
これってでも、素のままの自分で生きて行く、という意味では素晴らしいことですが、端的に言って社会性なくなるということになります。行き着く先は、漫画やアニメで描かれるような、専門バカの変人です。

専門バカの変人で生きていけるのならアリですが、自分がそのような境地に至ることができるとは到底思うことはできません。なので、現実的に有りたいと思うのは、世の中の状況が時代とともに変わって行く中で、その時代時代にあわせた中立な考えの持ち主でいるということです。

どれだけひとり天才ぶったところで、結局のところは社会の中でしか生きてゆけないのです。

そうなりますと、世の中のニュースに触れざるをえませんね。しかし、冒頭書いたように、世の中には様々な誘惑があります。そんな、なにが中立かもわからない世界では、なにか自分の方向性を決めるための「拠り所」のようなものが必要だと思うのですが、さて自分の考えの「拠り所」と呼べそうなものってなんだったっけな…。そもそもそんなのあったっけな…。やっぱなんか、自分って中途半端なのかなあ…。

など黙々と考えてました。もちろん安全運転で。
こういったことを文章にするとバツグンにポエムになっちゃいますね。わかってはいましたが。

ご飯論法

新人に毛が生えた頃に、肩書きだけでなく名実ともに偉い方々に向けてプレゼンしたとき、質疑の際に発せられる質問の意味が分からなくて、なんとなく自分の知っていることを捲し立てていました。ひょっとしたら、意味がわからないと言う意識すら、ワタシには無かったかもしれません。

ペーペーが意識せずにやったらただの若気の至りですが(そう思わないと今となってはやりきれない)、偉い人がワザとやったら『ご飯論法』と呼ばれます。森友学園問題の時にでてきた言葉です。流行語大賞にノミネートされるくらい、瞬く間に有名になったワードです。国会関係のニュースとか見てると、『論点ずらしのプロ』みたいな人もいますね。誰とは言いませんが。一朝一夕でできる芸当ではないと思います。新人の頃からその道に邁進してきた結果でしょうか。
よく『言葉の芸術』なんて言いますが、芸術と遊びは紙一重ということでしょうか。きっと違うと思います。

正論を言われ、言い返すロジックを持たない時、実際に何を言うかは様々でしょうけど、大事なことは『素直さ』ですね。監視の目がないと素直になれないどころか、監視の目があるからこそ狡猾になるという、まあなんというか、監視する方が甘いのか、監視される方が救えないのか…。

ちなみに冒頭で質問の意味を読めない新人だったワタクシですが、未だに分からない時は分かりません。最近は年取った偉い人ばかりでなく、自分よりいくらか若い部下からの質問にもタジタジすることあり。これはこれで救えないかも…。今からでもご飯論法の名手を目指すか…。

休みの日に仕事関係の電話があると

自分の周囲の観測範囲での印象なだけですが、15年前と比べたら残業が悪だというイメージは随分浸透してきました。有給休暇の取得率も、少々トップダウン気味ではありますが、上がってきています。
そんなときでも、休日に仕事関係の電話がかかってきて、自宅にいながらほぼ一日中仕事のことを考えているという日も、稀にですがある訳です。そのようなことが起こり得る職種だとは理解していますし、あまりよくはありませんが慣れたものだとも言えます。
しかしまあ、あんまり調子が良くない日だと、つい悪態もつきたくなります。もうね、あれか、弊社の『テレワーク』の『テレ』は、『テレフォン』の『テレ』なのか?
『テレ(フォン)ワーク』の普及率なら、弊社結構高いのではないですか?
などなど。

『テレワーク』と『テレフォンワーク』のダブルミーニングをトリックにした推理小説があったら面白いのではないでしょうか。その作家の作品は2度と読まないかもしれませんね。

本日の更新は『テレ(フォン)ワーク』って書いてみたかっただけです。

行き当たりばったり

本ブログを読んでいただいている方、初めての方もそうでない方も、来ていただきありがとうございます。
唐突ですが感謝の気持ちを表明します。他意はありません。

読んでいただいている方が少なかろうが、一銭の得にもならなかろうが、それなりに楽しみつつそれなりの期間継続できているのは、これもひとえにワタシのたゆまぬ自己研鑽の賜物ではないでしょうか。自分で自分を褒めてやりたい。誰も褒めてくれないもんね。
半分は本気で半分はジョークです。他意はありません。

そんなイタイ系ナンチャッテブロガーが選ぶ、ブログをやっていて楽しいことランキング、1位から3位までご紹介しましょう。

1位 ブログを書いている時
2位 自分のブログを読んでいる時
3位 ブログに何を書くか考えている時

そして、本当はやった方が良いらしいんだけどイマイチやる気にならないこと、こちらは箇条書きで4点お届けいたします。

  • 過去の記事をリライトする
  • 日々のPV数を確認する
  • 見出し、テーマ、構成などを記事書く前に考える
  • これからの方針を考える

さてこのように、自分自身に対して忌憚のない意見を考え、それをブログというネットスペースに晒して自己満足に浸る、そのくせ自分を変えよう的な向上心を持たない、そんなちょっとイタイヒトそれがワタシです。

そして、いかにこのブログが行き当たりばったりでテキトーな中身のまま来てしまったか、というのがよく分かります。
「ブログ 初心者 収益化」などで検索してブログマネタイズのノウハウを調べると、上に書いたことのほぼ真逆な内容が多くヒットします。これは、決してワタシが天邪鬼な訳ではありません。ずばり、ワタシにやる気がないからです。(どやぁ)

いやあ、暑くなってきましたね。(困った時の唐突な天候の話題)

では。(唐突に終了)

紫陽花と向日葵

曇天の日は、空の中途半端な灰色に引っ張られるように気分も優れなくなるものです。
などということは特になく、むしろ太陽が隠れてくれることの方の恩恵が大きいですね。昨今は、日差しが強い日の方が憂鬱になってしまいます。これからの季節は特にそうなることでしょう。

通勤にて通過する道の脇に、毎年各色の紫陽花と、中背の向日葵でいっぱいになる花壇があります。
花の名前や種類と見た目については、絶望的に覚えることができないのですが、流石に紫陽花と向日葵はイージーですね。車で通過するときに一瞬目に止まるだけですが、今年もいつの間にか、両花とも五分くらいまで咲いているように見えました。綺麗な紫陽花と向日葵を鑑賞しながら通勤できるのはいつまでとなるのでしょう。桜よりは長期間咲いてますよね。

さて、今年の夏も暑いのでしょうか。

三方よし

近江商人三方よし」という言葉がありますね。売り手も買い手も世間も得になるような商売をしないといけないよ、というやつです。自分の利益ばっかり追いかけていてはいけません。真に優れた商いとは、自分も周りも得をするモノなのです。(インテリジェンスあふれる導入)

社会人として必要なスキルに『交渉力・折衝力』が挙げられますね。二者の違いは割愛。実はその差は詳しくは知りません。
言葉自体が大層です。初めて聞いた時は、そんなの営業の最前線で働く人だけで良いじゃん、くらいにしか思っていませんでした。ワタシは一人黙々と機械相手に仕事してたいんだ、てな感じです。
別に会社に限った話ではなくて、PTAでも町内会でもオンラインゲーム(…はやったことないから想像)でも、組織とかコミュニティとか言われるような、他人とのつながりの中で物事を推進していくときには少なからず必要になります『交渉力・折衝力』。たとえ社内でクローズしキャッシュが移動しないような案件であっても、自分がいて相手がいて周囲の人がいるのです。
昔、新人の時の先輩社員で、『エンジニアは交渉力が全てだ』と豪語していた方が居ました。ペーペーなワタシは「ナニイッテンダコイツ」くらいにしか思っていませんでした。しかし今なら先輩社員が仰っていたことはよく理解できます。「全てだ」なんて言うつもりは流石にないですが、純粋な技術的な知識が豊富であっても『交渉力・折衝力』がなかったらその人は「優秀」とは言えません。

『交渉力・折衝力』は、ざっくりワタシの理解は、『みんなが得するようなやり方を見つけ出し、提案し納得させて実行する能力』または『リスクを皆んなで分散するやり方を見つけ出し、相手を説得して実行する納涼』となります。近江商人の『三方よし』に繋がりますね。
(説得力あふれる展開)

優れたエンジニアは、優れた営業・商人になり得る、ということかなと思います。(ハイソな締め)

ニュースとか世間とか自分とか

ニュース番組はコロナ感染症ばかりです。まあ仕方のないことかと思います。オリンピックについても、いろんな人がいろんなことを思って様々な発信をしています。発信することについては、いずれの立場の方も当然の権利だと思います。
この「当然の権利」の中には、黙して語らずな人々についても当然あてはまるということも忘れてはなりません。というか、個人の声(発信)の大きさについては、昨今ほどレンジも標準偏差も大きい時代はなかったことでしょう。(上手いこと言ってやった感)

声を大きく張り上げて堂々と不満をぶちまけるのって正直しんどいと思っています。
かといって『思うところあれど黙して語らず』という態度でいると、なんというのでしょうか、世間の声をミュートしたくなる時も稀にでてきます。
世の中をさわがす話題に対しては、必要以上に敏感にならずに、いわゆる『中庸』というやつを目指したいところですが、これだけ振れ幅が大きい世の中ではなにが『中庸』なのかもよく分かりませんね。まあ、外乱起案による感情の起伏は極力小さく保ちたいものです。

というわけで、感染症とかオリンピックとかアレとかコレとかのニュースを見ていて思うことをこれまでの文章とは特に関連なく書いてみます。

  • 政治家の人たちって『最悪の事態』を想定していないのか?
  • 『最悪の事態』を想定しているとしたら、頑なに語りたがらないのは何故なのか?
  • 政治家の人たちってコミュニケーション下手だよね

などなど。一対多数のコミュニケーションってきっと難しいのでしょうけど、とはいえ今の日本の「国民の声」と「政治の声」のチグハグさは素人にとっても目に余ります。なんか意味なく恥ずかしくなるレベルです。ミュートしたい。

そしてまたふと思うのです。上で箇条で書いた内容。素人が知ったかぶって政治批判をしているわけですが、冷静に考えたらですね、「政治家のひとたち」の部分を「ワタシ」に置き換えたらもう、そのまんま成り立つ気がするのです。コミュニケーション下手で、バッドケースを考えないからいざ失敗したときに被害と後悔が大きい。仕事にも私生活にも当てはまるのです。思い当たる節が山ほどある訳ですよ。

『世の中に対して思う事≒自分に対して思うこと』
『世の中について考えるということ≒自分について考えるということ』
というのが今日書こうかなと思った内容です。

逆説的に、外界からの刺激を極力カットして自分の内面に潜り、自分という人間について考え抜くという行為は、以外と自分という人間を見失いがちである、ということも言えると思っています。

こういう内容って、だらだら書こうと思えばいくらでも書けちゃう気がしますね。いくらでも書けても需要は全く無さそうです。そもそも、こんなこと考えてしまうということが、ひょっとしてストレス溜まってるってことなのでしょうか。

はい、おやすみなさい。