文章コンテンツの消費について

何をもって「文章コンテンツ」とするかは曖昧なままにしておいて。
現在、日々触れるインターネット関係の「文章コンテンツ」を項目別に書き出してみます。
割く時間が多い順です。1,2,3は、自分でブログ書くようになってから激増しました。ネットライフが様変わりしたと言えます。

  1. 読者になってたりブックマークしているブログなど
  2. Twitterタイムライン
  3. 1,2にリンクされている記事など
  4. yahooニュースなどニュースサイト
  5. その時々のまとめサイト

1と2に関しては、9割くらいは全文読んでいます。こちらのモチベーション次第で、「ちょっと合わないかな」「今しんどいな」と感じて読まないのが残りの1割です。主体的に読みに行ってるからそりゃあ読破率も高いよね、というところです。
3になると、読破率は50%を大きく切ります。これは、最後まで読むものが50%を大きく切る、ではなくて、全ての記事を半分もいかずに読むのをやめる、という意味です。全部途中脱落。これがとても勿体ないですね。
4とか5になると、その時々で見出しだけだったり、逆にその内容から派生するものを自分で調べたりなんかもして随分ムラがあります。ただ、これも主体的に情報を取りに行く行為なので、勿体ないと思うことはありません。

3の範囲をどこまで広げるかはその時々で変わりますが、いずれにしろとてもではありませんが気になったもの全てを消費しきれません。なんだったらちょっと食傷気味。
昔は全然そんなことありませんでした。気になったもの、話題になったものをどんどん読んでいた気がします。

コンテンツの絶対量が増えたのは間違いないし、そのぶん自分に合うものに出逢う可能性も減ってしまいました。というのが言い訳その一。
自分自身の処理能力が下がっている部分もあります。極端かもしれませんが、コンテンツを消化しないといけないという強迫観念が、コンテンツを処理する能力を低下させているようです。だれにも脅迫なんてされてないクセに。言い訳そのニ。

以上が、ええ歳してブログを書き始めたワタシに起こったささやかな変化のひとつです。

本当に確実なもの以外は追いかけるのをやめて、「量より質」に移行するのが解決策の一つだと思っています。でも、アンテナ感度は維持したい、という気持ちも強くて、選択と集中がうまく行っていないなぁと感じるネットライフを送っております。