就活を思い出しながら

「自分探し」とか「自己実現」といったワードはイマイチ好きになれません。就活の時によく出てきましたが、今ってどうなんでしょうかね。いくらもっともらしく語られても、どうしても胡散臭く感じてしまう。というか、胡散臭く感じようとしてしまうといった方が正しいかな。あえてそれらのワードから距離をとって影響を受けにくいポジショニングを心がけていました。
たとえば、「就活を通して自分探しだ」の言葉の裏には「就活で納得のいく自分探しできなかったやつは負け組だ」というニュアンスが隠れているように感じていました。「自己実現」とやらも、定義が曖昧なくせに、出来ない奴は不真面目なのだ、と言われているように感じていました。感じ方が穿っているだけかもしれません。
「なんでもいいから取り敢えず一生懸命やってみればいいじゃん。ダメだったらまた別の探せばいいじゃん。やりたいこととかなかったら取り敢えず大企業に入っとけばいいじゃん」と思っていて、今もそんな感じで日々やり過ごしているところがあります。

昨今、「いやならやめればいい」ということが大っぴらに言ったり書いたりされているように感じます。良い傾向だなと思います。それでよかったんだなあとホッとする感覚もあり。
社会というものに余裕が出てきたと言うか、マージンが広くなったというか、成熟のひとつの結果だなあと思うところです。あと、「働く」ということに対して社会全体が冷めてきているような感覚もあります。全くの主観ですが。
ちょっと強引な言い換えですが、昔は高いエネルギーをもっていた人しか認められなかったものが、いまや大小いろんな量のエネルギーを持つ人が、「働くこと」に対して様々な距離を持っている状態ですから、要は多様化かなと思います。
なんかすごい抽象的なことを書いています。はてワタシは何を想定してこんなこと書いているのでしょうか。不幸にもここまで読んでしまった方はなにかしら思い当たることあるでしょうか。ワタシにはもちろんありますが、詳述すると目いっぱい引かれそうなので抽象的な物言いに止めます。なんかすごい自己中な文章でした。失礼しました。(とか書いといて公開は止めない)