オリンピック関連のニュースを見聞きして感じたどうでもいいこと

オリンピック関連に限らずですけど、なにかと「説明が足りない」「プロセスが明確になっていない」と言われることが多いみたいです。いつからでしょうか。ワタシ自身が興味がなかっただけで、昔からあったのでしょうか。
いつからであるにしろ、結果だけでなく何故そうなったのかの説明を聞き、そこに至ったプロセスを理解するだけの余裕がある(人が多い)ということかしら。

関連づけて話せるのかわかりませんけど、仕事における「評価」については、結果だけでなくプロセスもその対象にせねばなるまい、という風潮を感じ始めている昨今です。背景としては、放っておいても何かしらの結果がでる時代は終わり、多様性を武器として戦い「価値」を生み出さねばならない時代が訪れていることがあると思います。

話戻って、ということは世の中的にも、プロセスに関心を持つだけの余裕ができたわけではなく、そうしないと次に続かないからという、切羽詰まった背景がありそうな気もしてきます。今まではほっといたら結果が出たのかどうかは知りませんけど。少なくとも、全体のパイが膨らむ中で、ほっといても引っ張られるように膨張したいく瞬間はあったのかなあと。
たとえば今どき「政治は結果責任だ」なんて言い切る人を目の当たりにすると、なんかとても胡散臭く感じます。それは、「それでは先が見えないじゃんか」という深層心理の現れでしょうか。

まあ、何でもそうですが、反省しないと再発する可能性が残るので、別にオープンにしなくても良いので、少なくとも組織の中では全てを明らかにして明確な反省ポイントを持っておいて欲しいですね。
…なんか、自分にダメ出ししてるみたいな気分になってきますね…。気のせい気のせい。