メッセージの伝わり方

たぶんかつては、右にならえで放っておいても右肩上がりで成長できたときがあったものと想像します。何が人間を堕落させるかって、「変化がないこと」はかなり大きいと思うのですが、放っておいても周りが勝手に変化してくれたら、ある意味楽チンです。周りに順応するために頑張ることができて(要は何を頑張るべきかを考える必要がない)、結果もついてくる可能性が高いのです。努力して結果もついてくるので、自らの成長を感じることも容易にできたのでしょう。想像なので全部適当に書いています。

今どきはもうそんなわけにはいかなくて、周りの環境が勝手に変わっていくフェーズ(があったとして)は既に終わってしまっているようです。右に倣っていても変化のない毎日で、しかし堕落しないためには、自らに変化することを課し、そして自らが周りを変化させていく存在となることが求められます。
一人一人が違う人間なのだから、各々が自分の成長のために変化を求めれば、人の数だけ考え方が生まれるはずだ。そしてお互いが影響し合うことができれば、まだまだ堕落せずに成長できるのだ。みたいな流れが、昨今の多様性を重んじる社会の考え方に通じるとも言えるかもしれません。

昔は、皆んながある程度おんなじ方向を向いていたので、伝えたいメッセージがある場合には、雑な伝え方でも最低限まとまることができたのではないかと思うんですよね。でも今って一人一人が違って当たり前ですから、メッセージの受け取り方も人の数だけあるかもしれません。そんな中で、真意を伝えるためにはどのようなメッセージを出すべきかって、きっと難しいのでしょうね。
例えば、『緊急事態宣言は解除されたが、週の半分はテレワークを行うこと』とか降りてきたとします。製造業などどうしてもテレワークだけで完結できない職種だとよくあることでしょうか。これを読んだ時に、「週の半分は出社しても良いんだ」か「週の半分はまだテレワークしないといけないんだ」か「テレワークの割合は緊急事態宣言中か否かきまるのか」か、同じメッセージでもそれぞれ微妙に受け取るニュアンスが異なりますね。どのように感じるかは人それぞれですが、感染症をどれくらい恐れているかがのバロメータになる部分はありそうです。
ということは、どのように受け取って欲しいかというのをしっかり考えてメッセージを出すことで、感染症にたいする人々の立ち向かい方をコントロールできる部分が、少ないかもしれないけれどあるかもしれません。
日本ってこの点ものすごく不得意ですよね。特にこの一年露呈しているように思います。政府が出すメッセージしかり、末端のコミュニティにおける具体的な指示しかり。これって、冒頭書いたような、『放っておいても右肩上がり間違いなし』な時代の考え方から未だに脱却できていないことが原因の一つですかね。その時に甘い汁を吸った人たちがまだまだ日本の上層部にはいるでしょうから、もうしばらくは今みたいな感じが続いちゃうんでしょうか。

いやあ、今年はコロナで選挙でオリンピックだなあ、と改めて思いながら書いてみました。