歳をとるとはどういうことか

成人式に行った頃は、自分がアラフォーになることなんてないと思っていました。アラフォーになってあらためて振り返ると、もうびっくりするくらい20年間成長していないと思えます。そしてこの先アラフィフやアラカンとなっている自分のことについては未だに想像できません。「いつまでも気持ちは若い」なんて綺麗事を言っている場合ではなくて、20年間は本当に充実していたのか、どうもどうやらひょっとして、この20年間は自分にとって「空白」ではなかっただろうか、と自問せざるを得ません。身体は歳をとっているけれど、気持ちは20年前に置いてきてしまっているのではないか、そのように考えてしまう今日この頃です。とはいえどうやら人生の残り時間は着実に減ってきているような気だけはします。うーん、なんか深く考え出すとせつなくなりますね。

さて。とはいえ。例えば。
今これを書いているある日の0時過ぎです。適当なところで切り上げて更新して寝ようかなと考えています。若い時は若いなりに、翌日の予定関係なく徹夜したこともありますが、最近は徹夜することもなくなりました。
「若いときのように徹夜できなくなった。体力無くなった」みたいなコメントはたまに聞きますが、実はワタクシそのように思ったことは全くなく、今だってやろうと思えばいつだって完徹できると思います。ではなぜ最近徹夜しないかと言うと、誘ってくれる人がいない(元々自分から誘う方ではない)、というのがまず大きな理由になりまして、それ以外の理由はもう単純に「なんとなく」になります。「なんとなく」をもうちょっと具体的に言うと、「なんか身体に悪いらしいから」とか「良い大人が徹夜とかなんかカッコ悪い」とか「周りの同年代で若者みたくハメ外しているやつなんていない」とか、まあしょうもないですね。身体が元気でやる気があるならやれば良いのに、周りにあわせるかたちで出来ない自分を演出しがち。そのような、同調圧力というか、忖度というか、とにかく周囲の空気を読むことによって自分の行動をある程度律する、こういったことが自然とできるようになっていました。

身体的な衰えではなく、精神的な成熟を以って「ああ歳をとったものだなあ」という台詞を吐きたいですね。