「死」について

かなり昔の話で記憶も曖昧で間違ってたらまずいので、敢えてボカして書きます。
著名な数学者の方がテレビ番組の密着インタビューに答えていて、その中で「死」についての問答がありました。その数学者の方は、当時すでに現役を退いてから随分経っていたと思います。見た目はホントに品の良いおじいちゃん。曰く、
「私は今、推理小説を読んでいる途中だし、見たい映画もある。もういつ死んでもおかしくない、とか、いっそ死んでしまいたい、と思うことがあっても、あの小説の続き読みたいな、とか、あの映画は見たいな、と思ってまだ死んでいない。私にとって生きたいとか死にたくないとかって、所詮その程度のことなんですよ」
ということでした。
この答え、一言一句までとなるとかなり補正が入っている可能性はあります。ただ、当時ワタシが感じたニュアンスとしては、ホントにこんな感じです。
飄々と答えておられたのもすごく印象に残っています。
もう、何年前かも定かではありません。ワタシはたぶん10代だったのかなと思います。多感な時期です。静かな衝撃を受けたのを覚えています。
ワタシの中の気持ちとしては、「数学という学問を極めんとしたような方でもそんな事思うのか」というのと、「そうだよな、結局死にたくないってそういう事だよな」というものでした。とにかく、その方の言葉がスッと自分の中に入ってきました。

自分というバーソナリティが失われることを想像するともう、感情としては「恐怖」以外の何物でもないということ。これがすなわち「死にたくない」という思いに直結しています。それは、どうやっても克服できない恐怖だと思うのですが、そうは言っても、
「なんで生きているの?」「なんで死にたくないの?」

「だって、もっと本読んだり映画見たりしたいし」

って、ごもっともなんだけど、でも生死の問題に引き合いに出すようなことでもないと思って、思いつきもしなかったんですね。

そもそもワタシ、「オレにはまだまだやらなきゃいけないことがあるんだ!」とか、「世の中はオレを必要としているハズだ!」とか、「○○王に、オレはなる!」とか、そういう思いがあんまりなかったのです。だから、何となく生きている感じ、モラトリアム感みたいなもの? を持っていました。そういうのって、どっちかっていうと良くないことじゃないのかな…もっと熱い思いを抱えて生きていかないといけないのではないかな、と思っていのです。若いですね。
そんなモヤモヤを、スッと退けてくれるチカラが、前述の数学者の方の言葉にはありました。おそらく、その方にはその方なりの思いがあり、専門分野で活躍してきたからこそ言えることだったのかもしれませんが、当時若人だったワタシはそんな深いところまで考えが及ぶはずもなく、ただただテレビから流れてくるその言葉が拠り所になりました。
「どうなっても、今を生きるしかないんだな」という風に消化して、そしてそのまま現在に至っている気がしています。

とりとめもなく、「死」について思うところを書いてしまいました。今に限らず、考えずにはいられないテーマかもしれません。
こういった話って、受け手によって千差万別ですから、各々が各々の拠り所を見つけるしかないのかなと思います。

まとめ

今のワタシの大きな拠り所は、「岸辺露伴は動かない」NHKドラマです。