ゲームの進化について考えたこと

小学校でファミコン、中学校でスーパーファミコン、高校のときはPS、大学生はPS2…と、ゲームといえば家庭用据え置きゲーム機である、という世代です。
しかしながら、近年のswitchやPS5などのゲーム機には到底ついていけず、最近はゲームといえば基本無料のスマホゲーのさわりをプレイするだけとなりました。限られた時間を何に充てるか、という点では、今のところゲームはさほど優先度が高くないので、この方面にはあまり未練もなくなりました。
ただ、やはり技術の進化には結構興味があって、注視していきたいと考えているところです。

家庭用ゲーム機にたいしてプレイヤーが行うことは「見る」「聞く」「読む」「操作する」だとします。「見る」「聞く」が能動的なものであるとすれば、「読む」「操作する」は主体的なものになります。
ゲームは、それまでの様々なエンタメコンテンツに対して、「操作する」要素を追加したことにより、プレイヤーのゲーム世界への没入感を格段に高めたのだと思われます。没入感、ゲームを語る上で大事な要素ですよね。
家庭用ゲーム機というのは、ファミコンの登場を機にエンタメの覇権をとったように感じます。そして、その後も進化を続けています。ただそれは、グラフィクスの進化がメインでした。

ときは流れて21世紀初頭、ゲームに起こった新たな革命、それは「VirtualReality」技術の導入です。驚異的なマシンスペックにより実現される高速レンダリングにより、VRゴーグルの中の世界は現実さながらのものとなりつつあります。まさに仮想世界に身を投じることができる環境を作り出したワケですね。
しかし、派手で絵になる技術革新であるにも関わらず、ファミコンが起こしたような社会の変化はまだ感じません。なぜか。
やはり我々がゲームに求めているもの、それは主体的な関わりをトリガとする「没入感」だと思うのです。
没入感は、目や耳から入力されたものに対して脳内で自分のイメージに変換することでも当然得られます。でもそれは物語や音楽でも良いものです。それよりもやはりゲームに求められるのは、直感で身体を動かすことがゲーム世界にダイレクトに影響するような環境なのです。
身体性を伴う方が、プレイヤーに残る印象が大きく継続的ですからね。

そういう意味では、ゲーム内のキャラクターを操作するためのコントローラーは、ファミコンの時からほとんど変わっていません。すごいですね。ファミコンの時すでに完成されていたということになりますもんね。
そしてコントローラーは、先述の主体的な没入感を得るためのデバイスとして、未だゲーム機に付属しているワケです。VRゴーグルは、ゲームコントローラーの代わりにはなりませんでした。ゴーグルというだけあって、「見る」のブラッシュアップの域を抜けていなかったのでしょうか。

家庭用ゲーム機について、思ったコトを書きました。なんのデータもなく語っているので戯言です。
家庭用ゲーム機の登場は世の中を変化させた、と言っていい出来事だと思います。ではこの先ゲーム機が進化して、新たな世の中の変化をもたらすのはいつ、どんな内容によってでしょうか。VR?AR?AI?
個人的には実は、スペースの制約が厳しく現状では頭打ちだと思うのですが、どうなっていくのでしょうかね。