1on1のモヤモヤ感

1on1やりなさいよ、なんて最近よく言われるわけです。1on1というのは要は、上司と部下との個人面談です。
上司側で言われることというと、傾聴が大事、世間話から始めてみよう、チャレンジする気持ちを大切にしよう、こまめに行うことで振り返りの時間を大事にするんだ、部下の成長を促そう、キャリアを尊重しよう、マイナスなことを言ってはいけないよ、ダメな場合はなぜダメなのかを合意したいね、個人の感情に否定意見をのせてはいけないよ、面談時のみに限らず円滑なコミュニケーションをとれるようになるんだ、そんな雰囲気を醸成するためにはどうしたらいいか考えよう、部下の成長がチームの成功体験につながるのだよ、…エトセトラエトセトラ…。
言ってることはごもっともなんだけど、まず思うこととしては、なんだかんだ精神論にいきがちじゃない?ということ。明確な方法論が示されるわけではなく、あくまでも心構え止まりというか。やってはいけないことや言ってはいけなおことは示されるものの、全体として体系的な理解には至らないというか。
根性論まではいかないかもしれないけど、ガチでやろうとしたら「上手いこと内心に踏み込め」と言われてるような気がして、そんなん人によってどこまでやるべきか違ってくるじゃんね。どれくらいのバランスが最大パフォーマンス引き出せるか、見極めんの厳しくね? 下手したら逆効果にならない?

なんてことを考えていると次に思うのは、上司側の負荷大きくない?ということ。上司というのは最低限管理職もしくはそれに準ずる役割の人かと思いますが、部下の人数などにもよりますが、かなりの時間的リソース割かれますよね。まあ確かに、上司と部下の間で如何に部下のパフォーマンスを最大限発揮させるか、そのための交渉力折衝力がマネジメントの真髄みたいなところはありますから、1on1もそれがマネージャーの仕事だ、と言われたらそれまでです。
しかし元も子もない話ですが一方で、成長やキャリア醸成も個人が好きなように考え実行すればいいじゃん、勝手にやったれよ、とも思うのです。困ったことがあったらもちろん全力で聞くけど、1on1というわざわざそういう場を設定すること自体になんだか違和感感じません?

だいたい、経済成長右肩上がり&終身雇用&年功序列が担保されていた時代であれば、それらがそのままワーカーにとってのセーフティネットとなっていたはずで、だからこそ怖い怖い上司の元でも、多少の根性論を用いながらも、結果として成果を出せていたのだと思います。
それが、経済成長はある程度サチってしまっていて、終身雇用も年功序列も緩々になってきた昨今、ワーカーたちは制度上のセーフティネットが失われたことになり、では彼らは一体どこに心理的な安定感を求めるかというと、これはもう自分のキャリアに拠るところが大きいはずですね。この流れが是が非かは様々意見があるとして、ただだからと言ってトップダウン的に「1on1やって部下の心理的な安心感をつくり思う存分自分のキャリア形成に集中してもらいなさい」と指示されることに若干の違和感を感じるワタシは、古い人間でござろうか。拙者そのあたりの話のもっていき方に異を唱えたくなり候。にんにん。

とまあそんなこと思ったところで仕事は仕事なので、今日も元気に1on1やってました。雑談やれって言うから全部雑談にしてやったぜ。
そもそもあれですね。こんな不満を言えること自体が、今のチームの状態が良いということかもしれませんね。(超前向き!)