人生の半分生きて思うこととは

小学校6年生の時の担任の先生が、学級会か何かの時に、「キミたちはまだこの世に生まれてたかだか12年だけど、先生はもう35年だ。人生の折り返し地点だ。なかなか感慨深い。正直キミたちが羨ましい。キミたちは今はわからない感覚だと思うけど、いつか絶対来るんだよ」と、冗談っぽい口調で仰っていました。(思い出補正入ってる可能性あり)
たしかに、その時は35年も生きた時に何を感じるかなんてよくわかりませんでした。

森博嗣さんの最初の方の作品で、犀川先生(天才探偵的なキャラです)が、「もう人生の半分がおわった。あとは崩れていくだけだな」みたいに感慨にふける描写がありました。読んだのはたぶん高校生のときだったと思うんですが、「さすが犀川先生カッケェ」とは思いましたが、「崩れるってなによ」てなもんで、あんまり感情移入はできませんでした。(べつにこれに限らず、凄すぎて感情移入できるようなキャラではありませんが)

子供の頃は時間が無限にあるように感じていました。大人になるまでにまだまだ時間いっぱいあるから、真面目に勉強してれば、この世のあらゆることが理解できるはずだ、なんて考えていました。そんなこと考えること自体が超真面目ですね。

大人になって、「人生の半分」なんて言える年齢になって何を思うか。我ながら結構興味あったんですが、確かに残りの時間を気にするようになっような気はするものの、だからと言って何が変わるわけではなく、意外と淡々としていて拍子抜けではあります。期待が大きすぎたのでしょうか。

実は、17歳くらいの時から精神年齢が変わってないような気がしていて、これって大丈夫なのかと思う時があります。
少なくとも、子供の頃に目指したような大人にはなれていないので、まだまだ精進だなあと思えています。幸いなことだと思います。