NHK 『100分de名著 ボーヴォワール「老い」』を見終わった

これから先はもうどう頑張ったところで超高齢化社会待ったなしで、道を歩けば老人ばかりな日常は当然訪れ、誰もが皆、当事者オブ当事者ズなのは間違いない訳です。
しかし、これまた当然のことながら、ある日いきなり年寄りが大量に現れるわけではなくて、時が経つごとに緩やかに、しかし確実に目に見えるレベルの速度で増えていくことでしょう。同様に、ワタシだってある日いきなり老人になるわけではなくて、日々過ごしていたらいつの間にかそのボーダーラインを超えていた、的なことを思う日がいつか来てしまうわけです。
人生山あり谷ありなんて言いますが、では老いていく過程は下り坂なのでしょうか。だとすれば、人生が上り坂から下り坂に転じるのはいったいいつなのでしょう。
いやむしろそもそも、下り坂というものが固定観念であり、本来はそのような悲観的なイメージに支配されるべきではないのかもしれません。悲観的なイメージに支配されているとすれば、それは高度経済成長社会が残したある意味「呪い」とも言えるのでしょうか。であるならば、まだ我々は、『成長継続間違いなし』な社会から『成長止まって緩やかかつ確実にボリュームダウン』な社会への舵きりを終えていないということになります。
でも難しいですね。どうしても、『老い→死≒収束していく、狭まっていく、自由がなくなっていく、しりすぼみ』なイメージはあって、そこからの脱却は多分無理で、受け入れた上で充実させることが求められる気がします。

というようなことを考えながら見終わりました、『100分de名著 ボーヴォワール「老い」』。普遍的なテーマで、かつ先進国ではボリュームゾーンなはずですが、イマイチ語りたがらない印象がありますね。そのような内容をズバッと語ってくれる本番組(本書)は、爽快でもあり不快でもあり。不快に思うのは自分が当事者であるという意識の表れでしょう。ワタシもまた、舵きり上手くできていないということですね。
たいへん面白く、勉強になりました。こなみ。

あと、最近読んだ『人口現象社会のデザイン』(広井良典)を思い出さずにはおれなかった。最終の第4夜は特に。