ちょっとだけ気になる言葉っていろいろあるよね、という話

日本語も英語も大して達者ではないオッサンの戯言です。

近所の大型スーパーの西友の店内放送(たぶんどこの西友でも流れてるやつ)を聞いてると、「…ソーシャルディスタンス、思いやりの距離を大切に…」なんて文言がありまして。最初は一瞬頭の中がハテナになったのですが、要は『ソーシャルディスタンス』を『思いやりの距離』と訳しているのですね。「…うん、まあ、言いたいことは何となくわかるけど、まあ、別に文句はないけど、なんというか、まあ…」というなんとも言えない気持ちが湧きました。
だからどうだと言うことはないけど。

ちょっと話ずらします。『ソーシャルディスタンス』は、直訳すれば『社会的な距離』となるはずです。具体的な数値ではなく、もっと概念的な距離というか、一概に数値では言えないし、数値で言えたとしても場面場面で異なるような気がします。しかし、コロナ禍で語られる『ソーシャルディスタンス』は『コロナ感染症に感染しないことが担保されるであろう距離すなわち2m』というのが共通認識として当然のようにあって、みんな当然のことのように受け入れてるけどそれでいいのか?『ソーシャルディスタンス』という言葉の概念的な意味を殺してしまいかねないのでは?とか思ってみたり。
似たようなことでは、『クラスター』とか『オーバーシュート』とかも、いろんな分野で使われる言葉ですが、今となってはまずはコロナを思い浮かべちゃいますね。『クラスターが発生』とか『オーバーシュートを懸念』とか。
訳としては、『クラスター』は『集団』で、『オーバーシュート』は『(狙いに対して)急に増えていきすぎてしまう』くらいかと思います。例えば、もうちょっと厳密に『感染クラスターが発生』とか『感染者数のオーバーシュートを懸念』くらい言って欲しいなあ、と思ってしまいます。
まあ、別に実害ないからどうでも良いことですが。

コロナ禍のワードという繋がりでいくと、『withコロナ』と『afterコロナ』も、今は両者同じようなニュアンスで使われているような気がします。
でも、『withコロナ』は『コロナと共に』と読めるから、我々がコロナを認識してから(つまり今年2月頃か、ひょっとしてもっと前?から)今後もずっと、と思いますし、『afterコロナ』は『今のコロナ(またはコロナに関する様々な問題)が終わってなくなった時』というニュアンスに読み取ってしまうので、まだまだずいぶん先のことを言ってるように感じます。使い分けたら良いのに、と思ってしまいますね。
まあ、どっちでも良いですけれど。

細かいこと気にしてんじゃねえ、と思う気持ちもわかるのですが、こういう、日常にあるちょっとした引っ掛かりみたいなものには、ちょっとだけ意識して敏感になっておきたいな、と思っています。

だから何が変わると言うわけではないです。
勉強して知見を広げるネタは、ちょっと敏感になっておけば結構いろいろ転がってると思っているからです。しかも、モノによっては、ちょっとしたスキマ時間にネット検索しただけで答えに辿り着くことができる、とても良い時代ですしね。