「しらたき」と「糸こんにゃく」の違いについて調べたときに思ったこと

最近、とあることがきっかけで、「しらたき」と「糸こんにゃく」の違いについて調べたことがありました。なぜそのようなことを調べるハメになったかは、たいへん壮大な話になるので、ここにはとても書ききることはできません。ですのでその話は全く書きません。あと、この文章を最後まで読んでも両者の差はわかりませんので、あしからず。

このような場末のブログに来られるような方々は、当然ご存知なのでしょうか、「しらたき」と「糸こんにゃく」の違い。ワタクシ今まで生きてきて、どちらのワードも知識としてはありましたが、両者の違いに想いを馳せたことは一度たりともありませんでした。
しかし、テクノロジーの進化はこのような知識の穴(とワタシが勝手に思っている)のような事も埋めてくれます。検索したらいくらでもその差に言及したWEBページがヒットするのです。一定の需要があると言うことでしょうか。本当に便利な世の中です。

ただ、そのようなページを見ていて思うのは、とにかく情報過多だということです。
例えばですが、ページタイトルは『「しらたき」と「糸こんにゃく」の違いは?』のような感じなのです。しかし本文を読んでみると、その組成や作り方から始まり、歴史や各地域毎の特色などに言及し、栄養価やそれらを用いた料理などの情報も記載した上で、最後に両者の差を述べる、といったものとか。

最初から差を書いておいてくれよ、ページタイトルもそうなってるやん、て思いますよね。

ここから想像が入りますが、たぶん、検索に引っかかりやすくしたり、ページに滞在する時間を伸ばしたりするためのテクニックではないかと思うのです。結構なことですが、読者としては、真に必要な情報がどこに書かれているかがわかりません。なんとなく最後の方だけ読もうかな、と思って飛ばして読むことはできますが、それが果たして必要十分なのかがわかりません。

この例に限らず、なにかと多いですよね。上記のようなテクニックを駆使していそうなWEBページ。気持ちは分からんでもないですが、程度は考えないと、結局読者を失うハメになり、長い目で見たら業界全体として損する結果になるのではないか、というのは余計なお世話ですが。

情報が溢れているがために、結果として本当に必要なものにリーチしにくい世の中だというのは、「しらたき」と「糸こんにゃく」の違いについて調べている時でさえ味わってしまうのです。