中年のモラトリアム

新興宗教に関するニュースなんかが話題になると、3大宗教とか5大宗教を学びたくなりますね。新興宗教自体のことではなく。
放送法の解釈変更のニュースを聞くと、放送法の成り立ちを調べてしまいます。スキャンダラスな部分はあんまり興味はなし。
深層学習の話題が自分の中でピークを迎えたのは数年前ですが、その時何をしてたかというと、深層学習に関連する数学の勉強をして、一生懸命深層学習のコードを考えてました。それを使って何をするか(アプリケーション)方面はあんまり興味なかったですね。
お絵描きAIとかChatGPTなんか、面白いものが出てきたなと思うし、それなりに楽しませてもらってます。が、それを使って何か新しいことをやろうとは今のところ思えないし、たぶんこれからも思わない気がします。どっちかっていうと、フレームワークどうなってんの?みたいなところは興味あり。

誰も手をつけてないような、世の中的に新しいことをやりたい、っていうモチベーションは昔からあんまりない。ただ、自分にとって新しいものは基礎から勉強したいとは思う。でも、基礎だけ勉強したらお腹いっぱいになってそれこそモチベーション無くなっちゃう。という特性とともに生きてきたのだなあ、とあらためて思う今日この頃。
延々と時間をかけて助走してる感じ?
…助走だけで終わってしまってるとしたら、あんまり良いことないのでは…?
楽しければ良いのか、別に迷惑かけてないし?

とか、こんなこと考えてること自体が、それなりに年取ったってことかな。
コンテンツ過多なこんな世の中においては、なんてことない贅沢な悩みかな。

kindle unlimitedはじめた

最近読んだ本で、『多くの語彙を持ってるほうが、世の中で起こっている現象を正しく把握できる』みたいなことが書かれているものがありました。語彙力高い方がより細かく事象を分析分解できる、というのはごもっともなことです。しかしワタシのようなパンピーにしてみれば、いくら語彙力あっても(ないけど)、分析分解する能力がないとダメじゃん、と思ってしまいます。どんなに切れ味鋭いナイフがあっても、扱い方とか所作とか身につけてなかったら意味ないと思うんですよね。
語彙力という名のナイフと、そのナイフをつかって世の中をどのように切る方法があるか、その両方を得るために、『そうだ、本を読もう』と思いました。くしくもkindle unlimitedが10周年でキャンペーンやってたので、勢いで契約してしまいました。
今まで活字といえばミステリー小説などエンタメ系に傾倒していましたが、これを機に(浅くても良いから)広く読書の幅を広げたいところです。
そして、有り余る語彙力で世の中をバッサバッサと切って行きたい所存でございます。

断捨離的に、SNS系アプリを消去した

ゲームアプリを消してやったぜ、ということを昨日は書きました。得られた成果としては、「ゲームに費やしていた時間」と「スマホ空き容量」があげられます。
後者の「スマホ空き容量」については、結構な量が空いたのですが、想定外の効果とて、思っていたより精神的な安定性が向上した、ということができます。
64GBなので今どきは全然大容量ではなく、この数年は残容量を気にすることが多くありました。新しいアプリを入れるのもまずは容量確認してたし、写真や動画の管理についてもiCloudを使って懸命にやりとりしたり。スマホの空き容量は心の余裕につながるということがよく分かりました。あと、人生で初めて“断捨離”なる行為の効果を体感できたように思います。ホーム画面のアイコンが少なくなるだけでもまあまあの爽快感です。
そのような解放感を求めて、というわけでもないのですが、“Twitter”、 “instagram”、 “Facebook”などのSNS系のアプリも消しました。
このあたりのSNS系については、ドップリハマってしまいやめたくともやめられず、物理的な接触を断つためにアプリを消す、というパターンが多いのでしょうか。(TVかなんかの受け売り)
ワタシの場合は全くそんなことはなく、極めて稼働率の低いアプリとなっていました。そのくせ容量は微妙に食ってるという。Twitterだけは、いろんな物事について、各個人がどう思いどう発信しているか、というのを調べるのに使うことはありましたが、それも時間についてはしれてるし、そもそも他人のツイートを見て得したと思ったり、感動したり、怒ったり喜んだり、という経験もありませんでした。要は、すごくコスパの悪いアプリになっていました。
あと、本当に使いたくなったらプラウザからアクセスできるわけで、わざわざ巨大なキャッシュを抱えてまでアプリを保持する必要性もありませんでした。
消して数日経ちますが、やはり案の定、何不自由なく過ごせています。あれですね、SNSってのんか、合う合わないで言うと間違いなく「合わない」と言えますね。
これらのアプリを今後やはり使うことにもしなったら、それはきっと発信のツールとして、ということになるでしょう。ろれはまさにワタシ自身も、ワタシ自身のネットに対しする向き合い方にも、もう少しバージョンアップしてからになります。これはもう、一生SNSには近付かない人生となるかもしれません。

スマホゲー卒業、なるか?

“基本無料、アイテム課金”のスマホゲーって、最初の数時間でユーザーの心をグッと掴んで(ガチャいっぱい回せるとかで)、その後は続けることのメリット(毎日プレイしたら課金アイテムあげるよ、とか)を謳いつつあわよくば課金してもらう、的な売り出し方になっていくようです。ワタシ個人としては、ゲームは大好きですし、“課金”とか“ガチャ”とかも節度を持って楽しんでるつもりですし、むしろ大人になってからもスマホでスキマ時間にゲームできるので、たいへん重宝してました。

ただやはり、“継続を促してあわよくば課金”となると、どうしてもライトな楽しみ方をよしとするプレイヤー(自分のこと)とは相性が悪くなってきがちです。一定時間プレイしたら周回メインになるし、時間が経てばパラメータもインフレしてくるし。そしてなによりイマイチなのは、「終わりがない」というところです。新しいキャラクターをフックにしてインフレを加速させることで、キャラクターの育成をゲームプレイのメインにする、という流れが定着しているように感じます。

新しいキャラクターというのはそれなりにテンション上がるものの、“プレイ時間のほとんどが育成” となると、それはちょっと違うかな、と思いますね。それだけではゲーム継続のモチベーションにはなりません。
なのでスマホゲーについては、あるタイトルを一定時間やったら(飽きたら)また別のタイトルをやる、それにも飽きたらまた別のをやったり途中までプレイしてたのに戻ってきたり(アンインストールはしてない)、といった感じで、それなりにつまみ食いしてきました。まあ、楽しみ方は人それぞれ。

そんなこんなで今までのスマホゲーとの関わり方について徒然なるままに考えていたのですが、考えれば考えるほどスマホゲームをプレイすること自体へのモチベーションが下がってきました。スマホゲー全体への“飽き”もあったと思います。

ということで散々考えた結果、“基本無料、アイテム課金”というシステムに合致するゲームは、スマホからはすべて削除することにしました。スマホゲーからは一旦遠ざかろう、ということですね。
少なくとも過去にブログに書いたタイトルなどは思い入れも強かったのですが、中途半端に残すのもイマイチですから、須く消去です。思えばスマホを持ち始めて以来、何かしらのゲームは常にインストールされていたので、まさに心機一転、あたらしい生活様式と言っても過言ではないでしょう。

真の意味での“フリー”感覚が得られるかもしれません。そしてひょっとしたら、今までにない新しい発想などが生まれる土壌を作ってしまつまたかもしれません。(今ならまだなんとでも言える)

さて、小さな決心ですが、ワタシの人生の分岐点になっちゃったりしたら嬉しいな、と自然に思えたのは、とても良いことでした。

またスマホゲームのある日々に舞い戻ってくる可能性も多分にありますが、とりあえず今のところは良い感じ。

という日記でした。

Interfaceの2022年6月号の特集が量子コンピュータ

Interfaceという雑誌の存在は何となくいつからか認識はしていて、稀に書店に行った時などは気にして見ていました。トラ技よりかはいくらか軟派な感じ?トラ技とSoftwareDesignを足して割ったようなものかな?だいたい、IoTか画像処理かラズパイかarduinoの特集やってるよね、なんてテキトーなことを思っていました。
今までは立ち読みこそしても購入には至らなかったのですが、今回の特集はビビビときてしまいました。その名も『Pythonで体験!量子コンピュータ
なんか楽しそう。量子コンピュータ扱ったのって、過去にもあったのかな…。
特集タイトルでいうと、大事なのは後半です。ぶっちゃけ『Pythonで』の部分はなんでも良くて、要は『量子コンピュータを学びたい。なるだけカジュアルな感じで』という想いから購入に至りました。量子コンピュータについては今までマトモに勉強したことないんですよね。この方面の最新トレンドを追いかけることが、今後の趣味の一翼になればいいなあという淡い期待もあったりして。

さて本雑誌ですが、パラパラと読んでみたところ、案の定、書かれていることはチンプンカンプンなんです。これは学生時代を思い出しつつゆっくり学ぶしかないですね。ただ、量子力学のイロハから入ってる感があって、個人的にはかなり好感が持てます。(何様?)
それなりにコードも載ってるし、例題のタイトルを見ると学生の時の講義を思い出させるものもあり、絶妙に琴線にふれてきます。この手のドキドキワクワクは何歳になっても良いものでございます。
総ページ数の半分以上を本特集に割いていて、なかなかボリュームもありそう。すごいですね、舐めてました。この雑誌は毎号こんな感じなのかな…。次画像処理の特集号見つけたら買ってみようかな…。

Python量子コンピュータ体験』というのも果たしてどのようなものか、(個人的に)未知の領域になります。いつかこのブログで偉そうに語れるくらいになりたいものです。

TVアニメ『平家物語』が面白かった

平家物語もずいぶんとポップになったなあ」なんて思いながら見始めましたが、軽い気持ちでたまたま1話を見た自分を褒めちぎりたいと思います。とても面白かった。こういった楽しみを持てると、1週間がホントにはやくすぎていくような気がします。
主観ですが、本当にどストレートな平家物語だったと思います。歴史を物語として楽しみたい、ワタシのような歴史ライト勢にはうってつけのアニメでした。

平家の面々がみなさんとてもクセのあるキャラクターですが、それはそれで本家の平家物語に忠実であるようにも思えます。栄華を極めた前半から、後半のあれよあれよと没落していくなかにあって、みなさんそれぞれのキャラクターに則った『盛者必衰』でございました。
とにかく一つ一つの場面がキレイで絵になります。都落ちすら美しい。高貴であるとはこういうことかと思わせてくれます。

本作の主要人物のなかでは唯一のオリジナルキャラクターであり語り部でもある琵琶法師のびわも良い味出してました。ネタバレしまくっている物語においては貴重な「読めない」キャラに収まっており、見るものにとってはとても良いアクセントになっていました。悪目立ちしない程度の適度な存在感も良かったですね。

そして圧巻は、びわが琵琶を奏でながら歌いあげる平家物語の名場面の数々です。びわの歌声、場面のチョイス、画面の色使い、短時間で語り歌い上げるさま、など、この演出は毎回本当に神がかっていました。これだけの総集編を作っても良いと思います。

アニメの最後は、後白河法皇建礼門院のもとを訪れます。これも原作通りでしょうか。後白河法皇といえば、平家滅亡を画策した最重要人物で、それがなんで清盛の子と昔話をすることがあろうか、などとあらすじを舐めただけでは思ってしまいます。しかし、そんなこと思わずに、後白河法皇にも建礼門院にも感情移入できてしまうところは、やはり物語の力なのだと思います。あと、毎回思うんですけど、平家物語においては後白河法皇がいちばん良いとこ取りしてますよね。

ということで、最初から最後まで堪能できる、本当に良いアニメでした。

心理的安全性は担保されねばなるまい』なんて思うこと自体が、心理的安全性が損なわれている証左ではあるまいか。
言葉というのは大したもので、物事を矮小化する代償として思考を縛り付ける、みたいなところがあります。発すると同時に力を持って一人歩きしていってしまう。一度発したものはもう取り戻せません。ゆえに、『言葉を選ぶ』という行為は、自分も相手も、ここにはいない第三者をも守ることになると思います。

たとえばなんですけど、
『オマエのチームは心理的安全性が足りないのではないか。一度そのことについてチームで話し合いなさい』
なんて上司に言われちゃったりした時には、
『…オレの心理的安全性わい!?』
なんて思っちゃうことが、あったりなかったりするかもねー。
頭が硬くて、肩書きが偉そうで、流行りに敏感なサラリーマン、てタチが悪いなあ、と思いました。