中年のモラトリアム

新興宗教に関するニュースなんかが話題になると、3大宗教とか5大宗教を学びたくなりますね。新興宗教自体のことではなく。
放送法の解釈変更のニュースを聞くと、放送法の成り立ちを調べてしまいます。スキャンダラスな部分はあんまり興味はなし。
深層学習の話題が自分の中でピークを迎えたのは数年前ですが、その時何をしてたかというと、深層学習に関連する数学の勉強をして、一生懸命深層学習のコードを考えてました。それを使って何をするか(アプリケーション)方面はあんまり興味なかったですね。
お絵描きAIとかChatGPTなんか、面白いものが出てきたなと思うし、それなりに楽しませてもらってます。が、それを使って何か新しいことをやろうとは今のところ思えないし、たぶんこれからも思わない気がします。どっちかっていうと、フレームワークどうなってんの?みたいなところは興味あり。

誰も手をつけてないような、世の中的に新しいことをやりたい、っていうモチベーションは昔からあんまりない。ただ、自分にとって新しいものは基礎から勉強したいとは思う。でも、基礎だけ勉強したらお腹いっぱいになってそれこそモチベーション無くなっちゃう。という特性とともに生きてきたのだなあ、とあらためて思う今日この頃。
延々と時間をかけて助走してる感じ?
…助走だけで終わってしまってるとしたら、あんまり良いことないのでは…?
楽しければ良いのか、別に迷惑かけてないし?

とか、こんなこと考えてること自体が、それなりに年取ったってことかな。
コンテンツ過多なこんな世の中においては、なんてことない贅沢な悩みかな。