好きじゃないけどやってみたいという感覚

「勉強したいな。どうせなら今の仕事とは全く関係のない勉強をしたいな」と思うことはたまにあります。やるなら理系の勉強の方がまだ好きなのですが、エンジニアとしての実務に近いものは避けたいと思う天邪鬼です。例えば今までの経験としては、流体力学量子力学、熱力学、等々の初心者向けの書籍を買って読むことがありました。決してレベルの高い難しい本ではありません。さわりだけで満足しちゃう感じです。
ちょっと前まではコンピュータサイエンス的な勉強も手を出していましたが、最近は仕事でもコンピュータ関係の知識が必要になった分、プライベートでのお勉強欲求はなくなりつつある感じです。

「勉強したいな」という気持ちになるのはどのような動機かを考えてみました。
あんまり高尚な動機はありませんでした。趣味で学問の道を進みたいと思ったことはないし、特定分野の興味が溢れてくるわけでもないし、分からないことがあってもストレスなく暮らせる方だし。
自分で何か作りたい、とか、スキルやノウハウを得たい、と思って新しい分野にトライすることはたまにはあるけど、でもそんなのは結構稀なことです。
ていうかそもそも、勉強したいと思うことはいくらでもあるけど、いざやってみたら勉強って面白くないと思っちゃう方です。勉強する人に対する憧れはすごいあるんだけど、勉強するのは向いてないのかなと思います。文章にすると矛盾するようですが(それはワタシの文章力の無さのせいもありますが)、まあそれくらいの矛盾は許容して生きております。

ただ確実に言えることとしては、「勉強した後は同じ場所に立っていても見える景色が違うのではないか」という気持ちがすごく大きいということです。一つのことを根を詰めて勉強すると物事の見え方や捉え方のバリエーションが増えるはずとは思っていて、それは間違いなく今後のワタシのための財産になるだろうし、単純にどんな景色が見えるかの興味も大きいのです。あえて極端な言い方だと、「こんなに辛い時間を過ごしたのだから、この後は素晴らしい体験が待ってるに違いない」と思って勉強しているというわけです。

「勉強したい」と思うのは事実ですが、「勉強好きだ」は事実ではありません。「勉強したあとの自分を想像するのが好きだ」というのは紛れもない事実です。結局のところ、好きなことばっかりやっていくよりも、やったことないことをやってみよう、という思いが強いという言い方に収斂されます。
自分の頭の中のテリトリーを広げたくて、どこまで広がるかを確認しているということかなと。