心理的安全性は担保されねばなるまい』なんて思うこと自体が、心理的安全性が損なわれている証左ではあるまいか。
言葉というのは大したもので、物事を矮小化する代償として思考を縛り付ける、みたいなところがあります。発すると同時に力を持って一人歩きしていってしまう。一度発したものはもう取り戻せません。ゆえに、『言葉を選ぶ』という行為は、自分も相手も、ここにはいない第三者をも守ることになると思います。

たとえばなんですけど、
『オマエのチームは心理的安全性が足りないのではないか。一度そのことについてチームで話し合いなさい』
なんて上司に言われちゃったりした時には、
『…オレの心理的安全性わい!?』
なんて思っちゃうことが、あったりなかったりするかもねー。
頭が硬くて、肩書きが偉そうで、流行りに敏感なサラリーマン、てタチが悪いなあ、と思いました。