断捨離的に、SNS系アプリを消去した

ゲームアプリを消してやったぜ、ということを昨日は書きました。得られた成果としては、「ゲームに費やしていた時間」と「スマホ空き容量」があげられます。
後者の「スマホ空き容量」については、結構な量が空いたのですが、想定外の効果とて、思っていたより精神的な安定性が向上した、ということができます。
64GBなので今どきは全然大容量ではなく、この数年は残容量を気にすることが多くありました。新しいアプリを入れるのもまずは容量確認してたし、写真や動画の管理についてもiCloudを使って懸命にやりとりしたり。スマホの空き容量は心の余裕につながるということがよく分かりました。あと、人生で初めて“断捨離”なる行為の効果を体感できたように思います。ホーム画面のアイコンが少なくなるだけでもまあまあの爽快感です。
そのような解放感を求めて、というわけでもないのですが、“Twitter”、 “instagram”、 “Facebook”などのSNS系のアプリも消しました。
このあたりのSNS系については、ドップリハマってしまいやめたくともやめられず、物理的な接触を断つためにアプリを消す、というパターンが多いのでしょうか。(TVかなんかの受け売り)
ワタシの場合は全くそんなことはなく、極めて稼働率の低いアプリとなっていました。そのくせ容量は微妙に食ってるという。Twitterだけは、いろんな物事について、各個人がどう思いどう発信しているか、というのを調べるのに使うことはありましたが、それも時間についてはしれてるし、そもそも他人のツイートを見て得したと思ったり、感動したり、怒ったり喜んだり、という経験もありませんでした。要は、すごくコスパの悪いアプリになっていました。
あと、本当に使いたくなったらプラウザからアクセスできるわけで、わざわざ巨大なキャッシュを抱えてまでアプリを保持する必要性もありませんでした。
消して数日経ちますが、やはり案の定、何不自由なく過ごせています。あれですね、SNSってのんか、合う合わないで言うと間違いなく「合わない」と言えますね。
これらのアプリを今後やはり使うことにもしなったら、それはきっと発信のツールとして、ということになるでしょう。ろれはまさにワタシ自身も、ワタシ自身のネットに対しする向き合い方にも、もう少しバージョンアップしてからになります。これはもう、一生SNSには近付かない人生となるかもしれません。