戦争のニュースに思うこと

子供の頃は今よりはまだ多少は純粋でした。「大人はケンカなんかしないものだ」と思い込んでいました。少なくとも、ワタシの目に映る範囲の大人は、ケンカなんてしていませんでした。少なくとも、ワタシの目に映る範囲の大人は、ケンカなんてしていないように見えるように振る舞っていました。
国と国とがケンカをすることがあるのは知っていました。戦争とか紛争とか。それらは、子供には到底理解できない、複雑な背景と高尚な理由があってなされているものだと思っていました。成長して大人になれば、複雑な背景と高尚な理由を理解できるかもしれないとは思っていました。

成長して大人になり、それなりに勉強して思ったのは、国も大人も、子供よりも子供っぽい理由でケンカするものなんだなあという事です。
勉強すればするほど幻滅していくことって結構あります。「子供のまま大人になりたい」なんてフレーズがありますが、言い得て妙、と心から思う程度には歳とってしまったものです。

docomoの『ケータイ補償サービス』を使ってiPhoneⅩをリフレッシュ品に交換した

タイトルまんまです。思ったことも含めてある程度詳しく書いておくと後から何かと参照しそうな気がします。

iPhoneⅩの素性

“iPhone10周年記念モデル”的な売り出され方でした。有機ELパネルを経験したくて、当時はそれはもう買い替えたくて仕方なかったのですが、踏ん切りはつかずに時だけが流れていきます。当時使っていたiPhone6sがまだまだ不自由なかったし、そんな軽い気持ちで買い換えることができない程度には本体価格が高価でした。
そんな感じで悶々としていた時に、

  • iPhone6sの液晶ガラスにヒビが入った(駐車場で落下)
  • 近所の電気屋さんでdocomoMNPiPhoneⅩ 64GBの1円キャンペーンをやってた

というイベントが立て続けに発生。当時キャリアはSOFT BANKでしたがそんな思い入れがあるわけではないし、これはもう、買い替えよという神の啓示に違いない。と思い、ここぞとばかりに飛びつきました。

iPhoneⅩ購入直後に起こったこと

Ⅹの次モデルであるⅩRやⅩSが出るやいなや、わずか一年の期間をもって販売が終わっちゃいました。ⅩRやⅩSに比べてもまだまだ購入意欲が注がれるモデルだと思いましたが、まあでも“10周年記念モデル”らしい華のある終わり方だったかもしれません。

この度ワタシのiPhoneⅩに何が起こったか

落としました。どうも定期的にiPhoneを落とす人生のように思います。
会社の更衣室のロッカーの上に置き、手を離してズボンを履き替える動作に移ろうとした際、小指の付け根がiPhoneの角と接触しました。よくないのですが、iPhoneの4分の一くらいをはみ出させて置く癖があるのです。その時もちょっとだけロッカーの上からはみ出ていました。重力に手刀の勢いが加算されたiPhoneは、見事に床に叩きつけられました。割と柔らかめの床でしたが、100均のカバーはその衝撃からiPhoneを保護するには力不足だったようです。画面の上部、時刻とか電池残量とか電波状態とかの表示エリアが真っ黒になってしまいました。その下のエリアは問題なく表示されているのは不幸中の幸いでした。ブラウジングKindle読書はかろうじて出来ていました。

どうしたものか考える

選択肢はいくつかあります。画面上が黒潰れしたiPhoneで一生懸命調べました。

  1. 最新機種に変更する
    もう3年以上使っているので、機種変更も当然アリです。3世代くらい飛び越えることになるので、そのスペックの差を体験できると思うと胸が躍ります。ただ、最新機種は値段の方がいかんせん高い。せこい話かもしれませんが、Ⅹを1円で手に入れたことを思うと、四捨五入で10万円の値段はなんとも手を出しにくいものです。
    ということで、最新機種に変更案、一旦保留。

  2. 最新ではない機種に変更する
     そもそもⅩを使用していて、特にストレスを感じていたわけではありません。今となっては数世代前のCPUとカメラですが、それしか知らないワタシにとってはいまだに十分すぎるほど高性能です。
    であれば、買い替え致し方なしとしても、何も最新である必要はありません。
    ということで色々調べたものの…、結論「高いよ…」です。お値段がです。もちろん最新よりは安いけど、でもねえ…。もうちょっと積んで最新買えば良いじゃん、というところで堂々巡り。

  3. 修理を考える
     悶々と堂々巡りをしていたところにふと、docomoから利用額の案内メッセージが届きます。ahamoにしてから特に気にしてませんでしたが、なんとなく値段を確認するべくahamoのサイトをぽちぽちしていて気付きました。
    なんとワタクシ、『ケータイ補償サービス』なるサービスに入っていました。ケータイの保険プランです。すっかり忘れていました。
    詳しく調べたところ、5,500円で修理出来そうです。テンション上がりました。それってメッチャお得じゃない?と思いました。テンション上げたまま、iPhoneの修理を取り次いでおるdocomoショップにTELします。そこで判明した衝撃の事実、

    • 修理に2週間待ち(からの修理自体も2,3週間かかるかもらしい)
    • 代替え機(iPhone)のレンタル料金2,200円なり(つまり修理代とあわせると合計7700円)
      一気にテンションが下がります。待ちが長い。中身初期化はやむなしと思っていましたが、代替え機使うことを考えると、データ移行を2回もせにゃならんようです。これはなんだかすごくめんどくさそう。もういっそのことこのまま黒潰れケータイを使い続けるか…。
      など考えていたところ、ここでショップの人に電話越しに言っていただきました。
      「ケータイ補償サービスを使って交換されてはいかがですか」
      というわけで今回の本命登場です。
  4. ケータイ補償サービスを使ってリフレッシュ品と交換する
     リフレッシュ品というのは、docomoが回収したスマホの外装等を交換して中味を初期化したものとのこと。新古品みたいな感じなのかな。見た目は完全に新品です。
     ケータイ補償サービスについてザックリ概要を書きますと、

    • 故障携帯を10,900円(機種により異なるっぽい。今回はiPhoneⅩ,ネット手続の場合)でリフレッシュ品と交換してくれる。
    • 全部WEBで手続きできる
    • 申し込んだらすぐ届く。翌日とか。

docomoのサイトをリンク

あと、検索したら体験談サイトがいっぱいあります。ここまで書いといてなんですが、参考にするなら本サイト以外のサイトが良いでしょう。

で交換しました

WEBの手続きはあっという間でしたね。故障箇所とか、使用機種とか、交換電話機の送り先とか書いた気がします。数分で終わって、「翌日に届けます」とのメッセージが。素晴らしい。

で、ホントに翌日に届きました。

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(箱の写真は撮るの忘れました)

開封すると、交換電話機、取説、保護フィルムとケース(サービスか?)、故障機返送用封筒、などが入っていました。

あとはデータを移して故障機を初期化して送り返すだけです。特に語ることはないですね。
データ移行、久しぶりにやりましたが、サクッと出来てありがたいです。ただ、ゲームとかSNSとかみょうに重たいアプリは、端末へのデータダウンロードにそれなりに時間かかりました。まあ、全然許容範囲内です。

今回、嬉しかったのはこちら。 f:id:m-zaki:20220219225125p:plain バッテリー、復活。
3年以上一度もバッテリー替えてなかったので流石にそろそろ、とは思っていました。
70%台まで落ちていたところからの、完全復活です。

こんにちは新しいiPhone
f:id:m-zaki:20220219225351j:plain
今後ともよろしくお願いします。
これでもうしばらくは戦えそうです。

さようなら今までのiPhonef:id:m-zaki:20220219225438j:plain
かつてのご主人様のことなど忘れてしまったことでしょう。
しかし、画面上部の物理ダメージは痛々しく残っていますね。

さいごに

ケータイ補償サービス、ワタシの場合は月々750円です(これも機種などによって異なる模様です)。単純に、購入3年半後に1万円払って新古品と交換、と考えると、金額的にはそこまで美味しくはないかもしれません。
しかし、メーカーの整備済み品と交換できて補償も継続できるとなると、これは断然お得ではないかと思います。
1〜2年で新機種に買い換えるなら不要かと思いますが、それ以上もっと長い買い替え周期を想定されている方は入っておくべきです。
ワタシは正直、ⅩのiOSのサポートが切れるまでは、故障時はこの電話機交換サービスで良いのではと考えています。

ということで、入ってて良かったケータイ補償サービス、というお話でした。

毎日の生活に何かしらのルーチンがほしいと思いいくつかトライするものの、なかなかうまくいかない日々。ジム通いしかり、瞑想しかり、ランニングしかり。
ブログ更新もその一環で、昨年なんかは比較的長期間続いたものの、「人生終わるまで続けそうな予感」は得られませんでした。そう、必要なのは「人生終わるまで続けそうな予感」だと思っています。日々の道標になりそうな何か。それがあるからワタシってばブレないんだぞ、と言えそうな何か。
どうも、周りのキラキラしている人たちはその手のルーチンを持っているように見えます。何なんでしょうねアレ。ナチュラルボーン前向きスト。

このワタクシといえば、生まれてこの方ずっと「憧れ先行型」なマインドで生きてきましたが、何か一つでも憧れに到達できたことがあるかというと、むむむむむ…とならざるを得ません。毎日何かに憧れる日々。何かを始めれば何かが得られるような予感を感じ続けるだけの人生。何言ってるか分からなくなってきますがまあそんな感じ?
「それって幸せなのか?」と自問して、「まあ案外幸せかも」なんて思ってしまうところにも若干の危うさがあるようなないような…。「飽きっぽい性格」なんて言っちゃったりなんかして、不幸自慢のフリをしてますが、不幸でも何でもないただの自慢マインドですね。

なんというテキトー文章でしょうか。やっぱり、自分のマインドを言語化するのって難しいですね。日々アウトプットを続けている非アフィリエイト系ブロガーの皆様への憧れも募ります。

『虐殺器官』伊藤計劃 読了

比較的一気に読みおわりました。
新年明けて晴れやかな気持ちで読み始めるような物語でもないだろうとは思ったものの、思っただけで特に気後れなどもありませんでした。
歳をとってそれくらい鈍感になってしまったのだなあと思いました。冗談です。

もうたぶん10年以上前に、「すごいモノが出てきたぜ!」みたいに話題になってましたが、若かりしワタシはタイトルに気圧され手に取ることはありませんでした。その後作者の方が早逝されたことが話題となったこともありましたが、やはり手に取ることはありませんでした。「SFってあんまり好かんのよね」みたいに斜に構えてましたね。何様。
それがこの度なぜ読むことになったかというと、kindleセールで勢いで購入してたからです。まったく、読者の風上にも置けないと思います。

描写がなかなかハードだし設定も若干ぶっ飛んでいますが(主観です)、十分すぎるほどのリアリティを感じるのは、ディテール描写が冴え渡っているからでしょうか。神は細部に宿る。ここまでくると、ラストにオチなんて要らないから!!なんて思いながら読めてしまいます。
読み終わった後のカタルシスもなかなかのもので、なんかこの作家の作品とは相性が良い気がします。もっといっぱい小説書いてほしかったですね。そして未読が残っているのはとてもうれしいですね。

新年あけおめ

クリスマスが終わって、年の瀬だなあと思っていたら、いつの間にか年が明けていました。
…という書き出しでブログ更新しようかなあと思っていたら、あろうことか仕事初めも終わっていました。
「仕事初めが終わる」って面白い言い方ですね。使い方的に間違っている可能性の方が高いと思いますが、真偽の確認は致しません。

「人生のピークをいつに持ってこようか」なんてことをたまには考えます。特に正月なんかに考えがちです。与えられた時間は有限ですから、後悔なく過ごしたいところです。
「この先10年は準備期間としよう。次の10年を我が人生の集大成としたい」なんてことをこの20年くらい毎年思っています。この20年くらいは、準備期間の入り口で立ち往生ということですね。もし20年前からちゃんとやってたら、今頃人生のピークが終わってるところでした。いやあ危なかった。
まだまだこれからですが、そろそろ準備開始しないといろいろ間に合わなくなってきそうな気もしています。
でも、一生なにかの準備期間として過ごすのも、それはそれでなんか素敵な感じではなかろうか。いくつになっても「まだまだこれから」なんて思っていたいものです。
はい、とりあえず今年もこっそり頑張ろう。
そんなことを考えながら、食っちゃ寝していたお正月でした。例年通りです。

熟成期間

何かしらの思いつきをカタチにするには、それなりの期間が必要です。閃いたものを最短でアウトプットできる人は天才だと思います。凡人は、閃いたことを自覚することはできませんし、自覚したところでカタチにすることもままなりません。
しかし、自覚があろうがなかろうが、考え続けること、閃きを捨てないことはたいへん重要です。諦めない力は、よく言えば粘り強い、よくない言い方だと未練がましいとか往生際が悪いとか、言い方言われ方は様々あるものの、あるに越したことはないですね。仕事でもプライベートでも、考え続けることでしか到達できないものは結構多いものです。凡人は考え続けるしかないのです。
いつかモノにしてやる、とか、全ては何かの前段取りだ、とか思いながら過ごす日々も幸せなものではないでしょうか。人生すべて何かの熟成期間だと言い切れれば、それもまた充実しているということだと思います。
なんか詩的な気持ちになってきました。

晦日にこの一年を振り返り、来年か再来年くらいには、そろそろ何かそれなりのアウトプットをしてみたいなあ、なんて思ったので、書き留めるべく更新です。

大河ドラマ『青天を衝け』が終わった

『青天を衝け』を見終わりました。余すところなく全話視聴。たいへん面白かったですね。最近の大河ドラマは、見始めたものについては途中で脱落することがなくなってきました。歳をとるとはこういうことなのでしょうか。違うような気もしてきました。

『国を大きくするために励め』的な表現が出てくるわけですが、髷を結っていない人間が言うとリアリティがありますね。
戦国武将が主君のために頑張る様子は、どこから見ても完全に物語として楽しめます。一方、現代人が国のために頑張る様子は、ちょっと離れて見ると、『いやいやそこは自分のために頑張れよ』みたいにちょっと冷めてしまうところがあります。現代人に通じる髪型と言語がもつリアリティです。
頑張ってる人の話を見たり聞いたりして、『ああ、オレってば頑張ってないなあ、ガックシ』となる場合と似ているような気がします。

いつの時代の話であっても、歴史というのは地続きです。フィクションとはいえ、その時その時代に居たかもしれない人を描いているわけですから、その物語の中には現代への何かしらのフィードバックがあるものと思います。
明治以降のお話は、それ以前のお話と比べると、そのフィードバックがよりダイレクトに伝わってくる気がします。近いところだから地続き感が分かりやすいだけでしょうか。

そもそも、物語から何かしらのフィードバックを得ようとしている時点で、なんか歳とったなあ、と感じてしまいますね。
あと、今回は主人公が天寿を全うしたというのも大きいですね。

なんやかんやでとても面白かったので、この勢いで近現代の物語もどんどんやっていけば良いと思いました。