豊かさを享受するか否か選べる事も豊かという事です

「豊かな時代になっものだ」なんて言ったり書いたりしちゃうことは割とあります。香ばしいほどの老害感でてます。
「豊か」って何よ、というと「選択肢が多い」という意味になります。民主主義において大衆に大方の権利が行き渡ったのちは、マイノリティに対しても同様な権利を整備するとともに、それまでの権利により一層の付加価値を提供すべく、様々なサービスが生まれていくのです。
このような営みが続き、世の中にありとあらゆるサービスが行き渡り、飽和しきった後はどうなるのでしょうか。個人的には「働く」ということの意義が問われ出すのだろうと考えます。あーもうちょっと後の時代に生まれてたら働かなくてよかったかもなー。
なんて考えてる場合ではなくて、やはりここで自らに問いたいのは、「選択肢が多いこと」は果たして「豊か」なのか、というところです。
自分の望む環境を自分の力で手に入れていく、人生を望むべき方向に自分の手で切り開いてゆく、そのような生き方ももちろんあることでしょう。一方で、与えられた環境の中で精一杯生きる、というのももちろん立派な生き方です。日本人的というか会社員的というか、いろいろ揶揄されがちですが、問題は他人にどう見られるかではなくて、自分がその瞬間幸せか否かなわけです。
井の中の蛙大海を知らず」の続きは「されど空の青さを知る」らしいです。大海を知る事も、空の青さを知る事も、どちらも同じだけ尊重できて、比べることなどできないということです。ならば結局、その時その瞬間に蛙が幸せを感じていたのか、充実していたのか、それが全てと言えるでしょう。

この2日ほど、Kindle Unlimitedするか否かずっと悩んでいたのですが、今回は(も)見送ることにしました。まだ自分は空の青さを知り尽くしていない、という判断です。えらいぞ自分。