ブログやってると「何でも書いていこうぜ」みたいなモチベーションをゲットできて、いつしか自分の中に無限の可能性を感じるようになります。「我無敵なり。なんだって書いてやるぜ!」みたいな感じです。側から見ればイタいことこの上ないですが、本人ノリノリです。
TwitterとかYouTubeとかもそうなのかなと思うところです。「1人メディア」というか「セルフメディア」というか、どんなにショボくても「自分が作ったメディアだ」という過信があって、「このメディアのなかでは何言っても自由だ」という思い込みに繋がるのだろうなあと想像します。自分のメディアの中に社会の全てが含有されているという錯覚です。ワタシの場合はそんな感じあるのですが、他の方はどうなのでしょうか。
この錯覚自体は全然悪いことではないと思っています。「世界の中の一部に自分があるのではない。自分の中に世界があるのだ」という考え方を持つことができて、端的にいうと自信を持てます。なので「セルフメディア」的な発信の場は、別にSNSでなくても良いから何かしらひとつは持っておいたら良いと思います。

ただ、「世界」なんて言っちゃうと神様にでもなったかのような言いぶりですが、結局のところはせいぜい「サードプレイス」に毛が生えた程度なんですよね。井戸端会議みたいなもの。しかも井戸端会議よりもよっぽどオープンです。
ここのところを勘違いしている人が、「世界」を作れると思っていらぬことを言って炎上しているイメージです。他所から見たら、井戸端会議での下世話な話が、思いの外多く拡散されただけという。

何の話かというとリテラシーの話のつもりで書いてきました。今後のネット世界の秩序は、これからの教育にかかっていると思います。

最近の小学生はプログラミングを授業で習うそうです。ロジカルシンキングを叩き込みたいのでしょうか。それももちろん大事ですが、もっと広く情報リテラシーの教育はどんな感じなの?と問いたくなりますね。
直接はもちろん間接的にもリテラシー底上げするやり方は様々あるのではないかと思ってしまいます。