言葉の意味を再定義するとかどうよ

ブログとかTwitterとかインスタグラムとか、いわゆるSNSでのコミュニティって、日本人にとって「サードプレイス」にはなり得るのでしょうかね。
海外では、コロナでロックダウンで外出規制で「サードプレイス」が奪われて結果ストレスフルな社会になって大変大変、みたいな話をたまに聞きますね。あれって日本人にもあてまるのでしょうかね。
家にいながらネットの世界でオンラインでコミュニティつくるというのが、コロナで流行るかと思えば、全然流行らないですね。インフラ的な理由からなのか、情報の非対称性的な理由からなのか。
そもそも皆んな、サードプレイスの「プレイス」にどれだけの制約条件を求めているのでしょうか。この辺りの認識については、この期に一度再定義すれば良いのではないかと思えますがどうなんでしょうか。やはり皆さん、緩やかな変革を望んでいるから、ドラスティックな変化は極力控えたいのですかね。
再定義、されてないわけではないけど、とてもゆっくりな印象です。

でもどうやら感染症は今後も緩やかには流行ってくれない気がします。であれば「サードプレイス」とか「コミュニティ」とか「ライブ」とかの意味を感染症と戦えるように定義し直す、という同意を得にいくのも、全然ありな気がしてきます。社会を一気にバージョンアップさせる感じ。ハードルはめちゃ高いでしょうけど。
それが必要だという多くのコンセンサスが要るけど、多くのコンセンサスが得られる頃にはもう手遅れかもしれません。

コロナが去った後に、コロナは何を残していったか、(不謹慎ながら)はやく知りたいですね。