TITLE:ハッピーセット

マクドナルドでハッピーセットを買った。4人家族なのでハッピーセットを4セット買った。買っただけで幸せになれる気がするけれど、絶対に気のせいだと思っている。
ハッピーセットにはオマケでオモチャがついてくる。私はそう認識している。しかしこれは、オモチャがオマケなのか、はたまたバーガーなどの食事がオマケなのか、議論が分かれるところなのかもしれない。私はバーガー8-オモチャ2くらいだと思っているのだが、私の子供などはバーガー1-オモチャ9くらいで捉えているようだ。いやそこはあくまでもバーガーを食すためのマクドナルドだろう、と私は考える。しかしそのような擦れた大人に向かい彼は言う。「だってさ、オモチャなかったらわざわざマクドナルド行かないじゃん」
青天の霹靂とはこのことかと言うと流石に大袈裟である。しかし指摘内容としてはたいへん的を得ており、気付きも多いものであった。確かに、ハッピーセットがなかったらマクドナルドには行かないだろう。我が家にとってマクドナルドの価値とは、ハッピーセットの価値とイコールなのだ。ハッピーセットの価値におけるオモチャが占める割合は、無視できないレベルには大きい。
擦れた大人は次いで思う。では我々が向かうべきはマクドナルドではなくトイザラスではないか、と。その意見を子供にぶつけてみたところ、若干の考慮時間を経たのち、
「それでは意味がない」と返された。
控えめに言ってかなり高度な会話ではないだろうか。一言二言のやりとりを交わしただけであるが、その真意を理解するためにはあらゆる想像力を必要とすると思う。
上手く文章で書く術を私は持たない。言えることとしては、理屈があるようでないようだけど、実はある、ということである。私のスタンスとしては、理屈があるのであれば、従うことはやぶさかではない。たとえそれがどんなに突飛なモノであっても。
考えてみれば最近、世代が異なる人間と会話して刺激を受ける経験がなかった。しかしそのような刺激は待っているだけでは得られないし、むしろこちらからアンテナを張っておくべきであろう。

冒頭でハッピーセットを4セット買ったと書いたのだが、どういうわけか、オモチャは3つしか入っていなかった。我が家はその事実を正面から受け止めることができず、とてもアンハッピーな雰囲気が漂っている。そんな雰囲気の中、今日の日記を書いた次第である。