膨らんだパイのなかで考える

高度経済成長期にはまさに経済全体のパイはどんどん大きくなっていきました。短期間で何倍にもなってたらそれはもう、毎日がイノベーション、おいしい思いをしたと言う話はよく聞きます。しかしそれも今は昔、どこまでも膨らむかもしれないと言う幻想は、はかなくも崩れます。一定膨らんでしまえばそこまで。そんなに膨らませ続けるネタもありません。たとえあったとしても、そんなに大きな変化は望めません。ニッチなところでほんのちょっと膨らんでも、全体からみたら誤差範囲です。

個人の経験だって似たようなところがあって、例えば携帯電話からスマートフォンに変わる過程はホントにドラスティックでしたね。「昨日のオレと今日の俺は違うぜ」みたいなこと思ってたかもしれません。何もしてなくてただ享受するだけだったくせに。
しかし、これだけものに溢れ選択肢が多岐にわたっていれば、たとえ新商品を発売日に買ったところで、膨らみきったパイからすればその変化量は誤差範囲のはずです。どれだけ期待しても、もうあのときのような感動は得られないのではないでしょうか。少なくともメチャクチャハードルは上がっています。ならばいっそ、高スペックなモノを買うことではなく、オリジナルな体験を重ねるということ、すなわちプロセスの方にリソースを割くべきではないでしょうか。

このように考え込むことで、M1 MACの購入欲を抑え込んでいるところです。