FIREという概念を知った

F.I.R.E.」ってご存知でしょうか。「炎」ではありません。「Financial Independence, Retire Early」の略だそうです。経済的な独立を得つつ、早期リタイアする、ということでしょうか。ワタシはごく最近知りました。
いやまあ、いろんなブログを読んでいるとチョクチョク出てきますが、あんまり深く考えずに『「fire(クビにする)」かな?』くらいに考えてました。

"Fired me, please!" (頼むから俺をクビにしてくれ)

的なニュアンスで「FIRE」ってみんな書いていると思ってて、そんなことわざわざ書くなんて、やっぱりブログをやってる人って変わった人多いなあ、なんて思ってました。不勉強を恥じたい。申し訳ない話です。

若者の間ではFIRE目指す人多いそうです。ホントかよ、FIREって言いたいだけじゃね?、2、3人のことを多いって言ってるのでは?、などと穿ったこと思わずには居れませんね。

「Financial Independence」がどういった状態を指すかによってかなりニュアンスが違う気がします。一概に「労働時間を相対的に減らす」というコトではなく、どうやら「不労所得により生活に必要なお金を得ながら」というニュアンスっぽい。じゃあ不労所得を得るために時間の制約を受けるのはどうなのか?など疑問は生まれますが、まあ言い出したらキリがないですね。雑に言うと「誰にも迷惑かけずに早期リタイア」ということでしょうかね。

自分自身のことを振り返れば、転職は意識したことあったけど(結局やらなかったけど)、早期リタイアとかフリーランスになろうとかの意識は全くなかったなあ。
早期リタイアに憧れる気持ちはわかりますが、自分自身がそれに向かうように舵を切ることもやはり今までなかったなあ。
というような連想から昨日のような文章を書きました。

リタイア後に不労所得を得たい、というのは二つの意味があると思っています。

  • 生活に必要なお金を得たい
  • まだ社会と繋がっていたい

建前は前者、本音は後者ではないか、と思うのが正直なところです。
あと、当たり前なんでしょうけど、FIREは目的ではなく手段、大事なのは何のためにFIREするのか、 FIREした後の生活にどのような価値を求めるのか、ということですね。

晴耕雨読の生活ってやつには憧れます。憧れますが、晴耕雨読の生活を死ぬまで続けることができるかと言われると、それはそれで窮屈かも、とも思ったり。自由を求めてリタイアするというのも、なかなかスパルタです。