ホワイダニットについて

ミステリー小説って、最初に大きな事件とそれに関わる大きな謎があって、その謎を中心に物語を展開させることで読者を惹きつけてページを捲る手を止めさせない、というものが一般的です。謎にはいくつか種類があって、その中の一つに「なぜ事件を起こしたか」というものがあります。ミステリー小説には「ホワイダニット(Why done it?)」なんてカテゴリーがあるくらいです。
最初に起こる大きな事件というのは大概は殺人事件であり、ホワイダニットというのは犯人側の殺人を犯した動機を描くことになります。
ちなみに、ホワイダニットと比較されるのが「フーダニット(Who done it?)」になりこちらは犯人当てですね。推理モノなんかで「犯人は、オマエだ!」というやつです。
偏見&ステレオタイプ&思い込みな言い方ですが(全部同じ意味?)、フーダニットは推理パズル、ホワイダニットは社会派、というふうに語られることがある気がします。
殺人を犯す動機なわけですから、もちろんたいへん重たい思いがあるはずで、それを描くことで物語に厚みが増すのだ、というのはその通りですし、読んでて面白いものもたくさんありました。
しかし個人的にはこのホワイダニットというものにイマイチハマれません。なぜかというと、この「動機」の部分が現実味に溢れていることが多いからです。痴情のもつれ、とか、積年の恨み、とかです。さすがに一言で言うと陳腐ですね。
ミステリー小説を読むのは、現実とは違う世界に浸りたいからであって、動機の部分にあんまりリアリティを求めていない、と言うのが正直なところです。
ですので、ミステリー小説を読んでいると、前半の謎が謎として存在感大きい時はとても面白いが、後半の謎が謎では無くなっていくと面白く無くなっていく、ということが多くあります。

今期見ているテレビドラマのひとつ『天国と地獄』は、あと残り1回か2回かで終わりで、現時点までかなり面白く見れています。前半は「人格入れ替わり」をネタに引っ張っておいて、終盤は正にホワイダニットに注意が集まっています。これから最終回にかけて、ホワイダニットの核心に迫るものと思われます。最終回を見終わった時の感想が「やっぱりな」か「お、そうきたか」か、もしくは他のものか、なかなか楽しみです。