ルーチン作業は仕事した気にさせてくれる

ルーチン作業って呼ばれるものがあります。「ルーチン」は日課という意味です。モーニングルーチンとかの方ですね。メインルーチンサブルーチンとかではなく。
たとえば、とある日報からとある数値のみを抜き出して日々記録していく、とか、とある計器を毎日決まった時間に見に行く、とか。もちろん、そのルーチン作業は何故必要なのか、何のためにやっているのか、という点は抜けてはいけません。やるからには意志が必要です。

ちょっと視点を変えまして、例えば物事に行き詰まった時、ルーチン作業というのは精神安定剤のような働きをします。(個人の主観)
何もやる気がなくて考えるのもしんどい、という時に、何も考えなくても何かをやったつもりになれるアイテムを持っていることは、長い人生において心の健康を考える上で大変有用だと思います。

さて、ワタシくらいナマケモノになりますと、新しいルーチン作業を定期的に発見し、日々その作業をするだけで仕事した気になる、という境地に達します。さらにナマケモノであるワタシは、ルーチン作業を自分でこなすのではなく、他人に任せちゃったりします。そうしますと、任された人は自分がこなすべきルーチン作業が増えて(自分の仕事が増えて)大変ではありますが、量をこなしただけ事業に貢献できているという思いにもなるので総じてハッピーです。ワタシはワタシで、ひとつルーチン作業が減った分、新たなルーチン作業を見つけるための時間が創出されるのでこれまたハッピーです。
このようにして組織というものは、毎日の業務はどんどん増えていくわけです。ルーチン作業がどんどん増えていくので作業者の負荷は日々増大していきます。それを補うために、人を増やします。するとまた、…という無限ループです。
このループには人を増やすという想定はあっても、「ルーチン作業をやめる」というロジックがありません。人から人にルーチン作業が継承される中で、何のためにやってるのかという「意志」がわかる人が居なくなってしまうからです。「やり方」は知ってるけど「目的」はわからない、なんて言葉にすると馬鹿みたいですが、結構よくある話だと思います。
そういうのが蔓延してくると、「何もやってない(と周りからは見える)のに何かやった気になってる」人がたくさん出てきます。というか、実は皆さん心の中では分かってるのです。「あ、これ意味ないやつやな」と。でも口に出すのは憚られる。だって前からずっとやってるし。このルーチン作業なくなったら自分の日々の仕事なくなることになるから仕事できない人になっちゃうし。ひょっとしたら、今すぐじゃないけどいつかなにかの役に立つかもしれないしなあ。みたいな。

RPAだ自動化だといいながら、現状の作業をいかに効率よく配置し直すか、という議論はよくされます。しかし、最新のテクノロジーを導入して効率アップするより、上述したような無駄に増えてしまったタスクを要不要で仕分けた方が、よっぽど効率よくなるというパターンはあり得ますね。