選挙と行き詰まり

結果に重きを置くか、プロセスを大事にするか。もちろん両方大事なんでしょうけど、結果さえ出してくれれば後は何も気にしない、という雰囲気はどんどん色濃くなってゆくなあ、なんて選挙のたびに思ってしまうわけです。それこそ、選挙の結果が物語っているように思います。

プロセスの不透明化は民主主義の基本的な考え方に反しているような気がします。しかし、民主主義の根幹である「選挙」によって、民主主義に反していると思われるプロセスの不透明化が支持されているわけで、なかなかドラマチックな場面を目撃できているのでしょうか。これを、様々なことが豊かになった証と見るか、民主主義の行き詰まりと見るか、という論点もまた趣深いものです。歴史的なことはよくわからないので、ひょっとしたら昔からそうだったのかもしれませんが。

なんてことを考えている時に、先日の大阪都構想住民投票を見てたんですが、シングルイッシューであることはなんと分かりやすいのだろう、と思いました。余計な雑音が入ってこないからでしょうか。少なくとも、ただの「人気投票」ではなかったなあ、と思います。もう、政策一個一個について全部住民投票で決めたら良いのでは、なんて思うくらいです。

で、これがアメリカ大統領選挙を見るとどうかというと、もうわけわからんですね。あそこまでイデオロギー的なものを全面に出されると、なんか見てる方もツラい、と感じるのは自分だけでしょうか。政策の違いなんて瑣末なことのように感じられてしまい、これもある意味不透明化と言える気がします。雑音が大きくなりすぎて大事なメロディを食っちゃってるんですが、雑音の方が聞いていて気持ちいい時も確かにあるかもしれません。
少なくともいろんな面で日本よりも振れ幅が大きいのは間違いないようです。

世の中なかなか行き詰まってんのかなあ(自分だけではないのかなあ)、そして行き詰まったときはシンプルに考えるべきですね、なんて思ってみたり。