フィクションのリアリティについて

たいがい語られ過ぎてる気がしますが。最近テレビ見てたときにふと思いました。

何をもって面白いと言えるか

映画やドラマのパソコン演出について。 何となく作品名伏せましたが、わかる人には一目瞭然ですね。

とある連続テレビドラマ

どっかのシステムにハッキングするためにPC画面に向かって登場人物がキーボードをカタカタカタカタ叩く場面がありました。その時のPC画面にLinuxのterminalが立ち上がっていて、カタカタ打ってるコマンドもそれなりに見たことあるもので、エディタでそれっぽい文字列を表示させて考察したりなんかもありました。
これを見ていたワタシは思います。
妙にリアルだな、と。どっかのシステムにハッキングしようとした経験はないけど、やるとしたらこんな感じかな、と。結構引き込まれました。演出担当なかなかやるな、と思いました。その連続ドラマは大変面白かったです。

とある映画

システムへのログインのための暗号を解読しないといけないシーンがあって、確か公開鍵暗号だったと思うんですが、一人の登場人物が一生懸命考えて考えて考えて、顔引きつってきて真っ赤っかになって、そしてなんと復号に成功します。
これを見ていたワタシは思います。
でも、そもそも昨今の暗号というのはPCを用いて計算して計算して計算して、家庭用のPCではオーバーヒート必至なくらい計算しまくっても、暗号解かれるころには関係者全員寿命を何周も終えているくらい難しい(というか復号に時間がかかる)はずです。それをどんだけ天才的なひらめきをもっていても人間ができるなんておかしい。演出やりすぎたな、と。
その映画はとても面白かったです。

とある連続テレビドラマ2

ある日ある時刻に、システムがエラーを起こします。今までに起こったことのないエラーです。実はそのエラーは、犯人が犯行を行うためにプログラムのソースコードに仕掛けていたワナで、いわゆる『トロイの木馬』です。当然のことながら起こるべくして起こったエラーです。しかしそのプログラムを運用している登場人物たちはそんなこと知る由もありません。その時刻になると、いきなりテキストエディタっぽいのが開いて、日本語の文字列が順に表示されていきます。そしてどこかに設置されている赤いパトライトが点滅しながらグルグル回り始めます。PC画面には『Emergency!』的な表示とともに、Terminalっぽいのが次々立ち上がりは消えていきます。そして開かずの扉が開いて…。
これを見ていたワタシは思います。
その施設にそもそもパトライトは不要ではないだろうか。そのエラーが犯人が故意に仕掛けたとしたら、わざわざ意味深な言葉を表示させたり、パトライトあったとしても回したりするなんておかしい。
演出ちょっとずれてないか?、と。 その連続ドラマは、まあまあだったかな。

神は細部に宿る

たまたまPCの素養が若干あったこと、原作あればその原作を知っているかどうか、など感じ方は個人の経験とセンスに左右されます。
ただ思うところは、

  • 作品のリアリティは細部に宿る
  • 細部にリアリティ有無は、面白さにはあんまり関係ない

ということです。あくまでも個人の見解です。
リアリティなんて言い出したら、手の込んだトリックで人を殺してる時点でもうリアリティ無いですからね。でもそんな大枠でリアリティのない世界に没頭させてくれるアンカーのような役割が、細部のリアリティにはあると思います。『お、やるな』と思ってしまえば、大枠がグダグダでも楽しめたりします。まあ限度はありますが。
もちろん、そんなアンカーなんてなくてもグイグイ引っ張り込んでくれる作品も確かにあります。というかそのアンカーに引っ掛かるかどうかは、その分野の素養があるかどうかも大きいわけです。上の3つの作品はPCの素養があってもなくても楽しめます。 じゃあ関係なくグイグイ引っ張り込んでくれるものは何かというと、それこそ無数にあるのでしょう。

結び

細部に拘ってることと、その作品が面白いことはイコールではないと思います。しかし、正の相関はあると言えるのではないか、と思う、秋の夜長であります。
最近たまたま見た映画(結構昔の作品ですが)がかなり面白くて、その勢いで書いてみました。そうか、せっかくブログやってるから、映画レビューとかもすれば良いのか。