今さらお題『読書感想文』

何週間か前のはてなブログ今週のお題が「読書感想文」でした。下書きに途中まで書いて眠っていたものを今更放出です。先に書いときますと、

  • 入りからして季節感がおかしい
  • 読書感想文よりも運動キライ話のほうがボリュームある
  • 読書感想文をディスってるように読める

という理由により途中で書くのを辞めたままでした。

お題「読書感想文」

3学期の思い出

3学期といえばマラソン大会です。特に中学生くらいの時は、3学期の成績はマラソン大会の順位そのまんまだったと記憶しています。ワタクシ、案の定というか見た目通りというか、マラソン大会の順位は最後から数えた方が早い方でした。…全体の半分まで含めているところがまだカッコつけたさを捨てきれていませんね。正直に言って最後から数えて全体の十分の一くらいでした。
ちなみに、小学校の運動会の徒競走では、だいたい5位か6位でした。
ですので、体育の成績なんてまあひどいものでした。小学生中学生の持つ様々な属性のなかで、『運動神経』でソートしたら、学年でかなり下の方だったでしょう。小学生中学生における『運動神経』と『運動好き度』は、R2≒0.98くらいで相関ありますから、ワタシも御多分に洩れず、体育キライ運動キライな人でした。
まあね、走れば遅いし、球技してもセンスないし、なんてことは誰より自分が一番分かってますからね。
ただ、ですね。今ならこう思えるわけです。学生の時のあの運動キライは『勿体なかったな』と。今現在、ワタシは、走ることはじめ体を動かすことは、結構好きだからです。
高校生のときにとあるきっかけで、1.5時間くらい走り続けたことがありました。ペースは当然ノロノロですが。その時、嫌だ嫌だと思いながらも、結構走れたんですよね。そして、かなり爽快な気分になれたのです。 ランニングって、自分のペースで走ってたら、いつまでも走り続けることができそうな感覚があって、一度その味を覚えたら、次のランニングが待ち遠しくなったりします。

テーマは『読書感想文』でした

「ご趣味は?」
と聞かれれば
「…ど、読書ですぅ…」
と言えるくらいの大人になりましたが、小学生のときは読書感想文、大嫌いでした。400字詰め原稿用紙2枚だったから、今毎日書いているブログ一回分より少ないです。大したことないじゃん、と今なら思えますが、当時は原稿用紙1.5枚以上埋めるのは果てしなく遠かったな…。どうしてあんなに時間かかったんだろう…。
中学生の時に、読書感想文とは全く関係ない巡り合わせで『オーロラの下で』という小説を読んだのが、読書が好きになるきっかけでした。物語の世界に没頭するというのは、こんなに素晴らしい体験なのか、と思いました。
ただ、その後も読書感想文は毎年書くのですが、やっぱり苦手なままでした。

まとめ1

ラソンにしろ読書にしろ、一人でやる分にはとても楽しいのです。しかし、

  • アウトプットを求められる(マラソン大会の順位とか、読書感想文とか)
  • アウトプットに対して他人の評価が入る

となると、途端に楽しさがなくなり、キライ感情が増幅されます。アウトプットが嫌なのではなくて、他人の要求や評価が入ることが嫌な訳です。これって、まさに仕事ですよね。『趣味で〇〇するのは好きだけど、仕事にするのはイヤ』というのそのままです。仕事というのはキライ感情に対してお金が払われている側面が大きいですからね。ちょっと前に『好きな事で、生きていく』というフレーズのCMが流れてましたが、『いや、無理なんだけど…』と思ったものです。(個人差は大きいと思います)
そうか、読書感想文は小学生にも実社会の厳しさを教えるための仕組みだったのか、と考えると微妙に納得できてしまったり。

まとめ2

齢アラフォーともなれば、上記のようなアウトプットに関するあれこれさえ、仕事趣味問わず、継続のためのモチベーションに昇華させる術にも長けてきます。ただ小学生にそういったことを求めるのはとても酷なことです。
読書感想文キライだから読書もキライだ、と思うのは勿体無いことなので、そのあたり、なんとか上手く教育する事はできないものかと、自分の子供を見ていて思う次第。
…教育とか言って他力本願になってる時点でダメなんだろうな。