総務省の接待問題について

日本って総務省が電波を利用するための免許を民間企業に与えているので、民間企業の生殺与奪を握っている立場になります。民間企業は当然のことながら免許を剥奪されたくないから、接待もしちゃうし、必要以上に総務省を批判しません。問題の本質は総理大臣の家族が関わっていることではなくて、役人が接待されたり民間企業が接待しちゃうことでもありません。
問題の本質は、その構造自体にあると思うべきです。

というのが一般論なのかしら。ちなみに、テレビのメディアはその構造の問題に対しては言及すらしていないそうです。sessionで言ってました。そのこと自体がまた、構造的な問題を浮き彫りにしている気がします。

では国とも民間とも利益を供しない第三者を主体とした組織に、電波使用免許を管理させる仕組みにしよう、となりますね。現在の先進国のスタンダードにあわせるかたちだそうです。構造に問題があるなら構造を変えよう、ということです。ごもっともですが、そうしたところで『接待』というものが無くなることはない気がしますね。『電波の使用免許』ってやつはものすごい大きな利権を生みそうです。というかそもそも、『接待』というやつはそんなに悪いものなのか、と思ってしまいます。ワタシレベルのサラリーマンですら、たまに接待したりされたりするくらいです。組織で働いていたら普通にありますよね。

「構造の問題」というのはもっと具体的に言うと「電波使用権を取り上げられるのはイヤだから国のご機嫌を取るために接待しちゃう。忖度もしちゃうから国に都合が悪いことは扱わない。国の方は逆に、自分たちの都合が良いことだけ放送してほしいから、電波使用権をエサに民間企業を懐柔しようとする」と言うことになります。
で、言葉にしてみて改めて思うのは、これって「構造の問題」といいながらも、ただの「運用の問題」ではないか、ということです。どんなに頑強な構造を設計し、厳格な法律をつくったところで、それらを扱う人たちが腐敗してしまえばなにも意味をなさないわけです。
逆に、扱う人がプライドを持ち続けて入れれば、今の仕組みでも問題ないかもしれません。 これこそまさに、当事者であるメディアのなかの人たちは扱いたくはないのでしょう。自分が正しく仕事をしていない、なんて誰もが認めたくないでしょうし。

そうなると、今後も末長くルールが守られる、ということを担保しようと思ったらどんなかたちがよいのでしょうか。
難しいですね。結局、人々の良心に任せるしかないのでしょうか?