趣味に成果は必要か?

ある日のm-zakiと後輩Z氏の雑談

m-zaki「この前ラズベリーパイっていうのを買ったんだよ」
後輩Z氏「何すかそれ」
m-zaki「ioいっぱいついてるマイコンでさ。で中のOSはLinuxなんだ」
後輩Z氏「へえ」
m-zaki「学生の時以来でさ、久しぶりにブレッドボードに抵抗とLEDさしてチカチカやっちゃったよ」
後輩Z氏「懐かしいですね」
m-zaki「昔は、この辺のさわるのって個人でやるのってハードル高かったよね。大学の研究室にはいっぱい揃ってたけど」
後輩Z氏「…それって、楽しいんですか」
m-zaki「楽しいよ。こういうの好きなんだよね。すごいよなあ。個人でこんなの遊べちゃうって」
後輩Z氏「……それって、今それやってる目的は何なんですか?」
m-zaki「え?」
後輩Z氏「え?」
m-zaki「…え?」
という会話がありましたとさ。

目的?

そんなんオマエ、そのデバイスに触っていることが楽しいからやってんだよ。じゃあサ。オマエサ。オマエの人生の目的は何なんだよ!え?
と言いながらキンキン声でコンコンと説教したかったところですが、パワハラ必至と思い留まりました。危なかったぜ。
いや、別に後ろめたいことがあるとかではないです。ホントにもう全然そんなんじゃないですから。

手段が目的になってはいけないよ

よく言われるセリフです。ワタシは、学生の時も就職してからも、よく言われました。組織にはミッションがあり、ミッション達成のためにどのような方法をとるかは、たいへん大事な選択です。しかし、目的のための手段であり、手段のための手段ではいけませんよ。という話です。会社というものは、未来にわたって組織として継続するという目的があり、そのためのまた別の目的があり、下下の者については、様々手段を講じて目的を達成せねばなりません。期間内に目的が達成できるか否か、出来ない場合はどれくらい近付いたか、が大事なのです。当然のことですな。

では趣味における目的とは

単純に楽しむことだと思います。続かなくてもいいしお金を生まなくても良いでしょう。予定なんてあってないようなもの。仕事ではないのだから、目的も手段も関係ありません。楽しいかどうかが全てなのです。楽しかったら手段も目的になるのだ。

むしろ手段を楽しむことが目的なのだ!

過去ワタシの周りには、PCの自作を趣味としている人がいました。その人は、いかに安価に高スペックなPCを仕上げるか、に心血を注いでいました。では出来上がったPCで何をするかと言えば、せいぜいネットサーフィンとDVD視聴くらいでした。数値だけ並べたら、宝の持ち腐れです。でもその人はたいへん楽しそうでした。一度その人に「そんだけ盛って、やってることは普通ですよね」と言った時は若干場の空気が悪くなりました。(あれ?デジャブ…?)

自分はどうか

ワタシ個人はというと、いろいろやってみたい方です。「やってみたい」については、あまり目的を考えない方です。なにかしらやっているうちに、ノウハウを獲得し、物事を違う角度から見れるようになったりします。それが目的といえば目的でしょうか。
例えば、今、pythonpngファイルの中身を触っていこうと思っていますが、そんなツールは世の中にゴマンとあります。何かしらオンリーワンのものを作ろうともしていません。ハッキリ言ってそんなことに時間を費やすだけムダだという人は多いかもしれません。しかし、ワタシ自身がpython触りながらpngファイルと格闘する経験から得られるもの、それはプライスレス、決してムダではないのです。決してムダではないぞ!ガンバレ、ワタシ!
(ちょっと自信がない感じを演出してみました)

まとめ

後輩との会話から

  • 趣味なんてムダなことだらけなのだ
  • ムダなことすなわち楽しいことなのだ
  • ムダで楽しいことは身近にいっぱいあるはずなのだ
  • 最近、色々うまく行ってないんだよなあ

というところまで話を膨らませて上手いこと書いてみようと思いましたが、上手く出来ませんでした。
このこともまた、ワタシの中にノウハウとして蓄積される事でしょう。