モノづくりの現場から

モノづくりの現場においては、AIやIoTやRPAは、効率化のための重要なツールです。何を効率化させるかというと、機械やシステムではなく、主には人間の作業になります。IoTはちょっと違うんですが、AIとRPAは、人間の代わりに作業をしてくれるものです。たとえば、新聞でAIやRPAの成果が書かれるとき、見出しはたいてい、「△△社、RPA導入により〇〇時間分の削減効果!」とかですね。この〇〇時間は、人間の働く時間であり、材料費や水道光熱費などに直接転嫁することはできません。何に転嫁できるかといえば、労務費です。

AIやRPAを導入した結果どうなるか端的に言うと、そこで働いていた人がヒマになる、ということになります。 さてこの時、経営者の前には2つの選択肢が現れます。

  1. 人の数は減らさない。雇い続ける。
  2. ヒマな人にはやめてもらう。

2の方が短期的な効果は出ます。なんてったってその時間分の労務費削減です。モノづくりの現場においては何に一番お金がかかるかといえば、案外人間だったりします。「単月の効果×その効果が継続する月数」が効果になりますが、この場合はずっと効果が継続する計画がかけるのです。しかし、計画が描けるだけです。忘れてはならないのは、機械やシステム(要はモノつくりの根幹)は決して効率化していないし、出来上がるモノのスペックが上がっているわけではありません。AIやRPAは基本的に、人間が作るよりもスペックの高いモノを作ることは、まだ出来ないと思います。あくまでも、人間の代替であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

とはいえ労務費が減った分、結果として出来上がったモノの単価は下がります。しかしこれを効率化によるものと捉えないほうが良いでしょう。出来上がりは何も変わっていないのですから。

一方1は、労務費の削減にはなりませんし、機械もシステムも効率化しないので、見た目は何も変わりません。ヒマになった人を雇い続ければ、お金を生まない人に対してお金をかけることになるので、雇っている側からしたら損しかありません。

しかし、「ヒマ=余力がある」と捉えることもできるのです。余力があれば、たとえば何かトラブルが起こった時の対応力が上がります。そんなしょっちゅうトラブルなんて起こりませんが、そのときはトラブルが起こらないような仕組みの構築にヒマな時間に充てることができます。思い切って、ヒマな時間で新しいモノつくりを考えてもよいかもしれません。 そんなにうまくトラブルがなくなることはありませんし、新しいモノつくりが仮にできても、事業として成功するとは限りません。結果として2を採用した方が得だったということもあるでしょう。

しかし当然ですが、前を向かないと前が見えませんし、前が見えないとこれから進む先が見えないのです。しかしながら前ばかりをみているわけにもいかないのも事実です。経営者は各々のバランス感覚で向く方向を決めているのでしょう。 少なくとも、自分が今どちらを向いているのかは、把握しておくべきですし、ビジネスパートナーと同意しておくべきです。

そしてビジネスパートナーの中には、雇われている方も含まれます。頑張って頑張ってヒマな時間を手に入れたぞ、あとは椅子に座っているだけで給料もらおう、なんて考えてはいけません。なんのために頑張ったかというと、ヒマな時間を新たな価値に転嫁するためなのです。そう考えますと、AIやRPAが人間の仕事を奪う、といったレトリックは少し違った意味になってきます。AIやRPAに仕事を奪われた先にこそ、人間の真価が問われるような仕事が待っているのです。

経営者側、雇われている側、どちらにもそれなりのリテラシーが求められます。ビジョンを語る経営者と、それに共感する雇われ者、そこから生まれる新たなる価値。何もしなくても勝手に新しい分野が花開き、何もしなくても新しい仕事が得られるようなことはもうないのです。新しい時代には、新しいマインドで望まなければ、今後の発展はないことでしょう。

と、いうようなことを、とあるきっかけで真剣に考えてしまいました。 今ある機械やシステムを最大限に効率化したら、経営者というのは次に人を減らそうとするんですよね。そうしない(かつ会社を発展させる)経営者が『有能』といわれるのでしょうか。

うーむむむ。。。これって一般論だよな。ズレてはないって思うけど。なんか、社畜って感じがする?

まあ愚痴ですな。