TITLE:未定

プロット

 

その男が死んだのは、36歳になる誕生日のちょうど1週間前だった。

家族はいない。元いた会社の知人との交流も既になく、まさに天涯孤独であった。自殺していたのを発見されたのは、死の1週後である。

彼が世間に認知を広めたのは、その死から1年経ってからだった。

まず彼は、死ぬ3年前から、自宅のサーバーPCに自分の日記をしたため、誰からも参照できる状態にしていた。つまりWEB日記を公開していた。驚くことに、そのWEB日記は死後も更新が続いた。原稿はストレージデバイス内にあり、日々自動でアップデートされるスクリプトに乗って、毎朝7時に新しい日記が公開された。内容は多岐に渡るが、日々の出来事や時事ネタは皆無で、ほとんどが彼の想いと言ってよい内容であった。

管理者の死後も更新され続けるWEB日記ということで、ネット住民の関心を徐々に集める。極一部では、WEB日記の内容と相まって、彼を狂信的に信望するものも現れた。そのWEB日記は、他者を魅了するに十分な内容であった。そしてなぜか、WEB日記とその管理者たる彼を悪くいうものは皆無であった。後から考えると少しおかしさが伴うのだが、その時は誰もそんなことは意識しなかった。WEB日記はそのような我々の反応も想定されている、と分析するものも現れる。ただしかしこの時点では、そのWEB日記を崇める人たちは、ネットの世界の大変限られたコミュニティの中にしか存在しなかった。

1年後、とある団体がそのWEB日記に目をつける。その団体は、WEB日記の管理者は自分たちの教祖である、という声明を出した。信者数3万人の、教団名だけは認知度が異常に高い団体である。面白がって取り上げるマスコミの影響もあり、WEB日記とその管理者は世間の認知度が一気に上がる。そして緩やかに信望を集めてゆく。管理者が既にこの世にいない、というのも認知を広げる要素となったことは間違いない。WEB日記に書かれた彼の思想は、万人が共有するものとなった訳である。

管理者の死後2年、教団の教祖にされてから1年たった時、彼と彼のWEB日記、そして教団に対して反抗的な態度を取るものたちが現れる。世間が一つの方向を向いてしまったことに対してカウンターを当てるかのように必然性を持って現れたのだ、と主張する者も多かった。ただ、過激なことは何一つ起こらなかったが。

反対派のボリュームは、教団のボリュームと同じくらいのペースで増えていった。明確に反対の立場を示さずとも、または明確に入団しなくても、誰もが(人口の六割くらいが)反対派か教団派かに属する状態になるまでさらに1年を費やした。ネットの世界でこれだけじわじわ時間をかけて物事が進行していくのは極めて珍しいと言ってよい。

さて1年後、つまりWEB日記の管理者が自殺により命を失った3年後、WEB日記の自動更新が止まる。更新停止自体に関しては、どれくらい計算されたものなのか、その期間もしくはタイミングに意味があるのかどうかは、不明である。ただ、明らかにそれをまっていたかのうように、教団内にWEB日記に狂信の意を示す過激派が現れる。電脳世界でのみ過激な文言をばら撒くようなものたちではなく、曲がったなりの信念を持ちリアル世界で時に暴徒と化すことも珍しくなくなったのだ。

教団内に明確な派閥構造が浮かびあがった。そしてそれは、教団外へも飛び火した。半年もたたずして、WEB日記狂信過激派、WEB日記穏健信仰派、WEB日記否定派に別れた鍔迫り合い、時に切り合いにも発展する出来事が起こり始めたのだ。

一人の男の死が、この国に分断を生んだ、と言って大袈裟でないくらい、誰もが何かしらの意見を持っていた。その分断に至る過程は、この国の人たちが歩んできた歴史のどこにもモデルケースが存在しないものであった。学ぶべき歴史がないということはこんなにも混乱を生むものだ、と述べた学者は少なくなかった。

そして、大きく見れば3つに分断されたが、そのどれにも属しようとしないものたちも現れる。彼らは、この騒動には何かしら黒幕が存在すると思っている。今の状態はその黒幕たちの思い通りに進んでおり、それは一般的に言ってよくない状態であると考えていた。

何ができるかわからない、しかし何かをして世の中の流れを変えることが必要だ、と思うものたちが行動を起こす。それすら、WEB日記管理者の思惑の中ではないかという、薄氷を踏んで進むような想いを抱えながら。

 

・・・みたいな

 

この内容(プロット)で、長編小説1冊くらいかけないかな。。。