名前、鼻水

人は、身の回りのモノや、怒った現象に「名前」を付ける、ということを今日に至るまで続けてきたわけです。名前をつけることは、そのモノや現象を、自分の手の届く範囲に置いておく、という意味合いがあると思うのです。カテゴライズしてから命名するというより、名前があるからカテゴライズできるのでは無いかと思うのです。
例えば自分の理解が及ばない現象を目の当たりにしたとします。理解が及ばないからひれ伏すのではなく、理解が及ばないからまずは調べますよね。その結果、その現象の名前が分かったとしたら(メカニズム等分からなくて相変わらず理解不能だったとしても)、それだけで安心できたりします。現象に対する畏怖の念は無くなるわけです。
仮に調べても「名前」が出てこない場合は、理屈は分からないし名前もない現象ということで、畏怖や恐怖の対象になることもあるでしょう。そのような畏怖や恐怖を克服したいという強い意志を持つ人たちが、新しい理論を発見し新しい名前を付与し、人々に安心感を与えるのでしょうか。極端な話、例えば犬だって「犬」という名前がなかったら、恐怖の対象かもしれません。

毎年これくらいの時期になると、どうも鼻がムズムズしてよく鼻をかみます。花粉症ではないかと思うこともありますが、周りの花粉症の方を見てるともっともっと辛そうなので多分違うと思います。
あんまりつらくもないので医者にも行かないワケですが、そうなるともう一生この鼻ムズムズの正体が何か分からないのだろうな…。