東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の差別的な発言について、数日前に話題にしました。その中でワタシは、以下のように述べました。
ただまあ本人はおじいちゃんですから、きっと言っても分からないのでしょう。
このコメントの問題点をあげますと、
- 問題の本質をジェネレーションに集約しようとしている(論点ずらし、矮小化)
- 世の中のおじいちゃんに対する冒涜とも取れる(差別的意識…は言い過ぎとしてもステロタイプではある)
などでしょうか。自分が書いた文章とはいえ、振り返って読み返して気付くことは多いです。
「老害」という言葉はよく見るしよく聞くし、自分でもよく使います。割と最近できた言葉ですよね。
ワタシの場合は、ブログの文章で使ったこともあるし、普段の会話で使ったこともあります。意味合いとしては、自分のことを揶揄して使うことが多いと思います。年下に偉そうなことを言って悦に浸っている自分と、そんな自分に幻滅している自分もいる、というニュアンスを込めたくて「オレってもう老害だからね」なんて使っちゃいます。
「老害」という言葉の意味として、
- 自分の経験が正しいと信じているようす
- 自分の考えが正しいと信じているようす
くらいに考えているためです。
(辞書をあたったわけではない。というかまだ辞書には載ってない?)
ただこれも、ワタシがそう思っていると言うだけで、世の中には
- 『老い=害』である
と「老害」の意味として捉える人も居ると思われます。ですからひょっとしたら、不用意に「老害」なんて使おうものなら、こちらにその気がなくとも「差別された」と思う人がいるかもしれません。
「そんなの気にしてたら何も言えないよ」というのも「立場のある人が言うから問題なのであって仲間内で言う分には何も問題ない」というのも全くその通りだと思います。
思いますが「世の中にはステロタイプな人は多くいて、自分も例外ではない」という認識は最低限必要かなと感じています。特に自分のことというのは意外と自分では分からないものです。
自分の発信に対して「これステロタイプかも」と思うことは大事なことだと思います。