TITLE:アフターブログ

ブログを書くようになって私は変わった。すっかり変わってしまった。きっともう戻れない。 職場が変わっても家族が変わっても感染症が流行っても、私自身がこんなに変わることはなかった。まさか自分がこのような状態になってしまうとは。甘く見ていた。もっと様々なことを考え想定し、ブログを書くということが自分にどのような影響を与えるか、事前に深く考察しておくべきであった。ああ、もうすぐ日付が変わる。またひとつ、記事を更新しなければならない。

ブログを書いていることは誰にも言っていない。職場の同期や学生時代からの友人はもちろん、家族にさえも。
始めるときに言わなかったのは、ただ恥ずかしかったからだけだ。あのときは、ブログに自分の意見を書くことで世の中が変わるかもしれないと思った。世の中が変わらなくても、自分の周りだけは少しくらい変わるかもしれないと思った。浮世離れした想いに拐かされ、柄にもなく意気揚々としていた。なぜ、あんなに浮かれていたのだろう。何に、あんなに期待していたのだろう。もう、思い出せない。

ブログを書いていることを今後誰にも言うつもりはない。同僚にも友人にも家族にも。 誰にも言いたくないのは、言ったらまた私が変わってしまうかもしれないからだ。もう変わりたくない。理屈ではない。かもしれないことはかもしれないとしか言えない。その一歩で良くなるかもしれないし悪くなるかもしれないのであれば、その一歩は踏み出すべきではない。そう考えて生きてきた、生き延びてきたはずだった。

他者の影響を受け私が変化することが起こり得るのであれば、少しでもそうなるかもしれないのであれば、私はその流れに全力で抗ってきた。結果的にいくらか流されたことはあったかもしれないが、自ら流れに乗ったことは一度もなかった。

私のブログの読者は1日に10人にも満たない。この10人未満の人も、私の記事を最後まで読んではいないかもしれない。私以外に私の記事を読む人など、よもや私の記事でなにかしら行動考えが変化する人など、皆無だと思っている。そもそも読者自体が、全体からしたら誤差なのだから。
しかし、皆無ではないかもしれず、誤差であれども存在する、という事実は、私に大きな変化をもたらした。まったく想定外のことであった。変わることなど、求めていなかったのに。

ブログを書くようになって私は変わった。なぜ流されてしまったのだろう。なぜ変化を求めてしまったのだろう。あのとき私が何を意図していたのか、既に定かではなくなっているが、間違いなく意図しない方向へ変わってしまった。

もう、私はブログを止めることはできない。今となっては止めることが、変化となるからだ。そしてきっと、仮にブログをやめたとしても、ブログを始める前の状態には戻ることはできないだろう。一度混ぜた絵の具を色に分離し戻すことが出来ないように。私は既に、混ざるべきではないものと混じり合ってしまった。

元に戻れないのであれば、今ここから動かないように、全力でしがみつく。選択肢などという優しい言葉ではない。私が私でなくなってしまうことへの、せめてもの全力の抵抗をしなければならない。

過去、私はずっと、その時々の『今』を守ってきた。変化を拒み、交わりを避け、新しい繋がりをむしり取ってきた。『今』の繋がりを、強くも弱くもしないことに、心血を注いできた。すべては、私が私であるためだった。
幼き時代の我が心の無意識にさえ、変わることへの忌避が備わっていた。なぜそれが、いつ失われたのか。
後悔することの意味すら見出せなくなってしまった。

ブログを書くようになって、私は変わった。きっと、もう、戻れない。ああ、もうすぐ日付が変わる。また一つ、記事を更新しなけれぼならない。